ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
キュリロスとメトディオス
Kyrillos kai Methodios; Cyril and Methodius
(兄) メトディオス Methodius 815頃. マケドニア,テッサロニカ~884.4.6. モラビア
ギリシア人の兄弟で,宣教師であり,卓越した神学者,言語学者。ともに「スラブの使徒」と称される。聖人。弟のキュリロスは本名 Constantine。兄弟は名門の家に生まれ,コンスタンチノープルで学ぶ。860年,黒海北東岸の異教徒ハザール人の間に布教。862年,ビザンチン帝国皇帝ミカエル3世と総大主教ポチウスの命で大モラビア国に赴き,翌 863年からスラブ人への宣教を行なった。伝道に際して,古代スラブ語のアルファベット(グラゴル文字)をつくり,ローマ式典礼や聖書を古期教会スラブ語に翻訳して成果をあげた。867年以後モラビアはローマに帰属,2人もローマ教会に属した。典礼に使う言語をめぐってドイツのラテン聖職者との論争が起こり,868年に教皇ニコラス1世の招請によりローマへ赴いたが,キュリロスは翌年没した。メトディオスはスラブ語の典礼を認めた新しい教皇ハドリアヌス2世によってシルミウムの大司教に任じられた。大モラビア公スワトプルクにより修道院内に 3年間(870~873)監禁されるなどのさまざまな困難にあいながらも布教活動を続けた。祝日 7月7日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報