キュリロス[アレクサンドリア]
Kyrillos; Cyril of Alexandria
[生]375頃.アレクサンドリア
[没]444.6.27.
教会博士,聖人,アレクサンドリアの司教。叔父テオフィロスの後任として大司教となる (412) 。有力な神学者であると同時に教会政治家であり,正統信仰擁護のためノバチアヌス主義,新プラトン主義,オレステス (帝国の長官) ,ユダヤ人,ネストリウス派などと激しく戦った。特にマリアを「神の母」 (→テオトコス ) と呼ぶことに反対したアナスタシオスを支持したコンスタンチノープルの主教ネストリウスとその一派は生涯の敵であって,二大司教区 (アレクサンドリアとコンスタンチノープル) やアレクサンドリア学派とアンチオキア学派間の対立意識も原因となり,教皇ケレスチヌス1世を動かしてローマに会議を招集し (430) ,ネストリウスを断罪,さらにアレクサンドリアの会議で断罪した。 431年のエフェソス公会議ではネストリウスとその一派の排斥に成功した。彼の著作としてはモーセ五書や小預言書,ヨハネ,ルカによる福音書についての広範な注釈があり,その中心思想は旧約と新約における神のわざの統一とキリストにおける神性と人性の結合であり,アタナシウスやカッパドキアの3教父の系統に立つ。彼の説は後継者により極端なキリスト単性説へと発展し,のちのカルケドン会議 (451) で非難されるにいたったが,ダマスカスのヨハネなどを通じてスコラ哲学に与えた影響は大きい。晩年の主著『背教者ユリアヌスへの弁明書』は異教徒に対する初期キリスト教徒の最後の護教書である。祝日2月9日。
キュリロス[エルサレム]
Kyrillos; Cyril of Jerusalem
[生]315頃.エルサレム
[没]386.3.18.
エルサレムの司教,教会博士,聖人。ニカイア信条の熱心な擁護者であったことからアリウス派の教会会議によって迫害され (357,360) ,その後ユリアヌス帝に呼戻されたが (361) ,ウァレンチヌス帝により流刑に処せられた (367~378) 。のちコンスタンチノープル公会議 (381) に出席,ホモウシオスの信仰を確認しエルサレム教会の信条を朗読した。その主著には四旬節から復活祭にかけて行なった教理講義録としての『カテケーシス』があり,特に第2部にはエルサレム信条が説明されており,ニカイア=コンスタンチノープル信条のための重要な資料である。彼は終始アリウス派には反対し,また聖餐におけるキリストの現存を実体変化説によって解釈し,聖餐論の発展に寄与した。祝日は3月 18日。
キュリロス[スキュトポリス]
Kyrillos; Cyril of Scythopolis
[生]524頃.スキュトポリス
[没]560頃
ギリシアの修道士。パレスチナにおもむき,修道生活をおくる。7人のパレスチナ大修道院長の伝記を書いたが,いきいきした叙述に富み,6世紀パレスチナの修道生活について貴重な資料を提供している。
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キュリロス(アレクサンドリアの)
Kyrillos
生没年:?-444
アレクサンドリア主教。ネストリウスの教説を異端として弾劾するのに成功した。412年,叔父テオフィロスの後任としてアレクサンドリア主教に就任,さまざまな異端および異教との強引な闘争を推進した。430年代の終り,コンスタンティノープル主教ネストリウスが,キリストにおける神性と人性の区別を明確にするため,当時広く行われていた聖母の尊称〈テオトコス(神の母)〉を排斥したとき,キュリロスはそれにはげしく反発し,エフェソス公会議(431)においてネストリウスを異端として罷免させた。これにはコンスタンティノープル教会に対するアレクサンドリア教会の反目,神学上のアンティオキア学派(ネストリウスが属す)に対するアレクサンドリア学派の敵意といった政治的要因が優先した。キュリロスは有能な教会政治家であると同時に,すぐれた神学者として多数の著作を残したが,キリストの本性に関するややあいまいな概念はのちの単性論につながるとされる。
執筆者:森安 達也
キュリロス(エルサレムの)
Kyrillos
生没年:315ころ-386
4世紀後半に複雑な様相を呈したアリウス派論争の終結に尽力したエルサレム主教。エルサレムは伝統的にニカエア派の主教座であったが,キュリロスはアリウス派のカエサレア主教アカキオスに推されて主教になった(349ころ)。したがって当時のキリスト教世界では,アリウス派とみなされていたことになる。しかしほどなくアカキオスと対立し,3度にわたって主教職を罷免された。キュリロスは,ニカエア派の主張した父と子の〈ホモウシオス(同一実体)〉が聖書に現れないとして難色を示したが,コンスタンティノープル公会議(381)では正式にそれを受け入れた。すぐれた説教家および聖書学者として知られ,主著《カテケシス》は,洗礼志願者に対する講話の形でキリスト教の教義および典礼を述べたものであると同時に,古代教会の実情を示す貴重な史料とされている。なお本書の第2部はキュリロスの手になるものかどうか疑わしい。
執筆者:森安 達也
キュリロス
Kyrillos
生没年:826か827-869
モラビアのスラブ人にスラブ語典礼を伝えたギリシア人宣教師。本名コンスタンティノスKōnstantinos。〈スラブ人の使徒〉と称せられる。テッサロニケに生まれ,早くから天才をうたわれ,首都コンスタンティノープルの大学で哲学を講じ,〈フィロソフォス(哲人)〉の呼び名で知られた。モラビアのロスチスラフ王の要請で,兄メトディオスとともに同国に派遣された(863)。その際,新たに案出したスラブ文字(グラゴール文字)を用いて,聖書と典礼の一部をスラブ人の言語に訳した。モラビア布教は,フランク教会の圧力で失敗に終わり,キュリロスはスラブ語典礼の認可を求めて赴いたローマで客死した。
執筆者:森安 達也
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キュリロス
ギリシアのテッサロニキ生れのキリスト教伝道者。兄メトディオスMethodios〔815ころ-885〕とともにスラブ人の布教に従事,〈スラブ人の使徒〉と呼ばれる。初めて古代スラブ語のアルファベット(グラゴール文字)を作り,聖書の一部をスラブ語に翻訳した。なお現在のロシア文字の原形であるキリル文字は彼の名にちなむが,これは10世紀にブルガリア地方で作られたとされている。
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世界大百科事典(旧版)内のキュリロスの言及
【ギリシア正教会】より
…6世紀よりギリシアには大量のスラブ人が侵入したが,キリスト教を受容し同化した。9世紀後半,テッサロニケ出身のギリシア人キュリロスとメトディオス兄弟はビザンティン帝国の使命を帯びて,モラビアのスラブ人にスラブ語典礼を伝えた。13世紀初頭,第4回十字軍の侵入によってコンスタンティノープルにラテン帝国が樹立されると,ギリシアの教会も大部分ラテン司教の管轄下に置かれたが,典礼や信仰生活に大きな変化はなかった。…
【グラゴール文字】より
…スラブ語最古の文献の言語である[古代教会スラブ語]の文字としてキリル文字と共に使われた二つの文字の一つ。スラブの使徒といわれる[キュリロス](スラブ名キリル)によって860年代に作られたといわれる。この文字はスラブ語の発音の正しい観察に基づく,原則として1音1文字のアルファベットで,ごく少数の文字だけは1文字で2音が示されている。…
【スラブ学】より
…スラブ学は最初はスラブ文献学として発展した。すなわち,9世紀後半にモラビアに布教した[キュリロス]と[メトディオス]兄弟が案出した最古のスラブ文字(グラゴール文字と呼ばれる)とその言語([古代教会スラブ語])の研究であり,この分野は現在ではキリロメトディアナCyrillomethodianaの名称で呼ばれている。初期の代表的なスラブ文献学者は,チェコの[ドブロフスキー],スロベニアの[コピタル],ロシアのボストーコフAleksandr Khristoforovich Vostokov(1781‐1864)である。…
【聖書】より
…現在なお各国の正教会では,中世の翻訳を多少改訂した教会スラブ語の聖書を典礼で用いている。最初の翻訳は〈スラブ人の使徒〉と呼ばれるテッサロニキ出身のギリシア人[キュリロス]と[メトディオス]の手になる。二人は9世紀後半,モラビアのスラブ人への布教の目的で,まずスラブ語を表記する文字([グラゴール文字]と呼ばれる。…
【チェコ】より
…第2代ロスチスラフRostislav(在位846‐870)は東フランク王国の支配を脱するためにビザンティン帝国との関係を強化した。彼はそのころ盛んになったフランク人によるキリスト教の布教活動に対抗し,ビザンティン帝国に要請して,テッサロニケ生まれの宣教師[キュリロス]と[メトディオス]の兄弟を宮廷に招いた。キュリロスはみずからが考案したスラブ文字([グラゴール文字])を用いてスラブ語による布教を行った。…
【チェコスロバキア】より
…1918年から92年まで続いた中欧の共和国。国名通称はチェコ語,スロバキア語ともČeskoslovensko。1920‐38年,1945‐60年の正式国名は〈チェコスロバキア共和国Českoslovká republika〉。1948年以後は社会主義体制をとり,60年からの正式国名は〈チェコスロバキア社会主義共和国Československá Socialistická republika〉。1969年よりチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国の連邦制に移行したが,89年の〈東欧革命〉の進行過程で両共和国で連邦制の見直しが図られ,正式国名を〈チェコおよびスロバキア連邦共和国Česká a Slovenská Federativní Republika〉に変更した。…
【メトディオス】より
…弟[キュリロス]とともにモラビアのスラブ人に布教したギリシア人宣教師。シルミウム大司教(869)。…
【エフェソス公会議】より
…コンスタンティノープル主教ネストリウスは,キリストにおける神性と人性の区別を明確にすべきだと主張し,聖母マリアへの〈[テオトコス]〉(〈神の母〉の意)の尊称に反対した。それに対しアレクサンドリア主教[キュリロス]らが強く反発し,教会政治上の思惑もからんで論争問題となっていた。公会議は最初から分裂会議となり,キュリロス派はネストリウスを異端とし,その罷免を決議した。…
※「キュリロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」