デジタル大辞泉
「ミナ」の意味・読み・例文・類語
ミナ(Mina)
サウジアラビア中西部、イスラム教の聖地メッカの東約5キロメートルにある谷。メッカとアラファト山の間に位置する。メッカに訪れた巡礼者が巡礼月の10日にミナに集まり、七つの石を拾って、ジャムラーとよばれる大きな壁に向かって投げるという最後の儀式が行われる。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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みな
生年:生没年不詳
幕末期,武州多摩郡上川原村(昭島市)における,所持地不正利用,年貢賦課不正にかかわる訴訟「運平・みな一件」の中心人物。出身村不明。村役人や組合のものを相手取り,弘化2(1845)年から嘉永6(1853)年まで足かけ9年間の訴訟を示談成立まで,当初は上川原村の夫運平と共に,夫病死後はみなが主体となって闘った。女性がこのような訴訟の主体となること自体注目されるが,このような行為をとりつづけることができたのは,みなが村外者ゆえに,村の共同体的諸束縛にとらわれなかったこと,19世紀半ばという時代状況にも基因している。<参考文献>菅野則子「女と村と家」(『地方史研究』226号),『昭島市史』7編
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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みな
?-1863 幕末の女性。
武蔵(むさし)多摩郡(東京都)上川原村の農民,運平の妻。名主や義兄を相手どり,所有地小作料の横領,不正課税などで弘化(こうか)2年(1845)より夫とともに訴訟をおこす(運平・みな一件)。夫の没後もたたかいつづけ,嘉永(かえい)6年(1853)の示談成立後も村の支配層をなやませた。文久3年死去。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のミナの言及
【度量衡】より
…小麦180粒の質量で決めた単位の呼名は,シェケルshekel,シクルsicle,シクルスsiclusなどと地域により異なり(聖書の邦訳ではシケル),実体も8~11gほどの幅を示していた。そして,このシェケルの倍量としてタレントtalent,ミナmina(またはミネmine)という単位が使われたが,近代西欧の衡であるポンドやキログラムも,どこかでミナの跡を引いているといわれる。それはともかくとして,イギリスの伝統的な単位グレインgrain(日本ではグレン,ゲレーンともいう)は文字どおり穀粒によるものであり,古代インドの衡の一つであるグーニャguñjaも,ある種の豆(一説ではトウアズキabrus precatorius)の種子によるものと解されている。…
※「ミナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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