ヤブリンスキー案(読み)ヤブリンスキーあん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤブリンスキー案」の意味・わかりやすい解説

ヤブリンスキー案
ヤブリンスキーあん

1991年7月のロンドン・サミットへのゴルバチョフ出席を前に,ヤブリンスキー元ロシア共和国副首相がハーバード大学のグレハム・アスリン教授らと共同で作成したソ連経済改革案。全体を3段階に分け,第1段階では贅沢品と耐久消費財の価格自由化,小企業・農地の私有化など,第2段階では財政均衡とほぼ完全な価格の自由化など,第3段階では大規模民営化と構造改革などを行うとしたもの。また西側からの金融支援として,年間 250~350億ドルを5年間位必要としている。しかし,ゴルバチョフはこの提案を採用せず,ロンドン・サミットにはパブロフ連邦首相が中心となって作成した「危機打開計画」 (1991年4月発表) に近い案を提出したため,G7諸国は失望し,ゴルバチョフに金融支援を与える確約をしなかった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む