日本大百科全書(ニッポニカ) 「道浦母都子」の意味・わかりやすい解説
道浦母都子
みちうらもとこ
(1947― )
歌人。和歌山市生まれ。早稲田大学文学部卒業。朝日歌壇の投稿をきっかけとして歌作を始め、近藤芳美に師事する。歌誌『未来』に所属。1975年(昭和50)には、幾人かの「未来」同人たちと合同歌集『翔』を刊行する。80年第一歌集『無援の抒情』を刊行。70年前後の全共闘運動のさなか、早稲田大学を卒業。結婚し、夫の赴任地へ。のちに革命運動家を選ばず、平穏な道を選んだことに対して自責の念にかられる。一連の心の葛藤と孤独、抑え切れない活動家としての血潮を絶唱するかのように歌に心を託した『無援の抒情』は、一躍時代の共感を呼び、現代歌人協会賞を受賞した。
本歌集において道浦はもう一方で、父や近しい存在との対立劇を描きながらも、気持ちの弱さをより露呈してしまうことを抑えることができない自己の姿を描ききっている。葛藤とその裏側の寂しさが、女性性への煩悶(はんもん)へと常に自分をさらしつづける。しかし何よりも強い、超越した思想への憧れは、常に現在形の「闘争の歌人」として生きることを決意させる。この姿はたて続けに刊行された第二歌集『水憂(すいゆう)』(1986)、第三歌集『ゆうすげ』(1987)においても変わらない。その後の歌集のあとがきで道浦は、これらの三歌集を「沈んだ無彩色のうた」と形容している。学生運動という社会的事件に巻き込まれ、社会と文学とを切り結びながら歌を作り続けてきた道浦ではあったが、その後、熱く闘うべきもののなくなった、冷えていく社会の潮流に押し流され、じりじりと自己反省の感情にさいなまれるようになってくる。
しかし、40代を迎えた道浦は、歌という型が過去の苦悶の波から自分を救ってくれたのだということをはっきりと認識するようになり、さらに作歌への情熱を燃やし始め、これまでの重たい時間の海から、できるかぎり明るい地平へと歩き出そうとする。意識的な歌集『風の婚』(1991)では、これまでにはなかったふるさとへの感慨や、美しい恋情の歌なども多数みられ、精神の転向がうかがえる。
その後の歌集『夕駅(ゆうえき)』(1997)や『青みぞれ』(1999)も、これらの境地をさらに明確にしたまなざしが主に描かれているが、ふとしたところで、自分は世界に取り残されてしまっているのかもしれないという筆者の寂しさものぞかせるようになる。しかし、ここまでたどってきた歌人としての半生へ、きっぱりとした覚悟でのぞむ、道浦ならではの境地としての歌意も数多く見受けられる。
歌集以外には『水辺のうた』(1991、川田夏子画)、編著『女うた男うた』(1991)、『男流歌人列伝』(1993)、『四十代、今の私がいちばん好き』(1994)、『食のうた彩事記』(1995)、『乳房のうたの系譜』(1995)、『本のオアシス』(1996)、『季節の森の物語』(2000)、『群青(ぐんじょう)の譜』(2000)など評論、エッセイ、画歌集などの著書も多い。
[和合亮一]
『『風の婚』(1991・河出書房新社)』▽『『水辺のうた』(1991・邑書林)』▽『『四十代、今の私がいちばん好き』(1994・岩波書店)』▽『『食のうた彩事記』(1995・弥生書房)』▽『『乳房のうたの系譜』(1995・筑摩書房)』▽『『夕駅』(1997・河出書房新社)』▽『『青みぞれ』(1999・短歌研究社)』▽『『季節の森の物語』(2000・朝日新聞社)』▽『『群青の譜』(2000・河出書房新社)』▽『『無援の抒情』(岩波現代文庫)』▽『『男流歌人列伝』『本のオアシス』(岩波同時代ライブラリー)』▽『道浦母都子・坪内稔典編著『女うた男うた』(平凡社ライブラリー)』