ユリヤティモシェンコ(英語表記)Yulia Tymoshenko

現代外国人名録2016 「ユリヤティモシェンコ」の解説

ユリヤ ティモシェンコ
Yulia Tymoshenko

職業・肩書
政治家 元ウクライナ首相

国籍
ウクライナ

生年月日
1960年11月27日

出生地
ソ連ウクライナ共和国ドニエプロペトロフスク(ウクライナ)

本名
Tymoshenko,Yulia Volodymyrivna

旧名・旧姓
Grigyan,Yulia

学歴
ドニエプロペトロフスク大学〔1986年〕卒

経歴
ロシアに近いドニエプロペトロフスクの母子家庭で育つ。大学で経済を学び、旧ソ連共産党エリートの息子と結婚後、1989年義父の援助でレンタルビデオ店を開店。’95年ガス輸入最大手“統一エネルギー機構”社長となり、“ウクライナで最も裕福な女性”と言われた。’96年国会にあたるウクライナ最高会議議員補選で当選し、政界入り。’99年12月クチマ政権下でエネルギー担当の副首相となり、改革手腕を発揮。しかし抵抗勢力反発を買い、2001年1月解任される。同年ガス会社社長時代の汚職容疑で逮捕され、のち釈放。同年11月野党連合“ティモシェンコ連合”党首。2004年11月大統領選では野党代表のユーシェンコ候補を支え、政権交代につながる“オレンジ革命”を成功に導く原動力となり、“ウクライナのジャンヌ・ダルク”と称される。2005年1月ユーシェンコ大統領就任に伴い首相に任命されるが、大統領と対立し9月解任される。2007年12月最高会議選挙で代表を務める政治ブロックが躍進し、首相に復帰。ロシア産天然ガスの輸入価格交渉では、プーチン首相と合意を取り付ける手腕を見せた。2010年1月大統領選に立候補するが、2月の決戦投票でヤヌコヴィッチ前首相に敗れる。3月内閣不信任決議が可決され、即日解任された。2011年8月ロシアとの天然ガス取引を巡る職権乱用罪で起訴され、10月禁錮7年の実刑判決を受け服役。2013年1月には、1996年に同国で起きた実業家射殺事件を首謀したとして殺人罪で起訴されたが、2014年ヤヌコヴィッチ政権の崩壊により釈放される。2009年3月初来日、日本のネットでも人気を博した。女優のような美貌で、長いブロンドを三つ編みにして後頭部に回すウクライナの農民風髪型がトレードマーク。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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