ラインラント帰属問題(読み)ラインラントきぞくもんだい(その他表記)Territorial Problem of Rheinland

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラインラント帰属問題」の意味・わかりやすい解説

ラインラント帰属問題
ラインラントきぞくもんだい
Territorial Problem of Rheinland

1919年6月のベルサイユ条約でドイツは戦略,経済両面で重要なライン川左岸地域を失うことになり,住民投票によりその帰属が問われたもの。ライン川左岸地域は連合国軍隊によって 15年間の保障占領下におかれ,右岸は幅 50kmにわたって非武装化が規定された。フランスは,ラインラントを政治的にもドイツから切り離そうとして,23年ルール占領を機会に,住民の間で分離・自治運動を組織したが,ドイツ住民の抵抗にあって失敗した。その後ロカルノ条約 (1925) が結ばれ,ラインラントの永久武装禁止が保障され,旧連合国軍隊も 30年6月末までにはすべて撤退した。しかし,ナチス・ドイツ成立後,A.ヒトラーは 36年3月仏ソ相互援助条約の成立を理由にロカルノ条約を一方的に破棄し,ラインラントに軍隊を進めた。西欧諸国はこれを抵抗することなく見送り,フランスの戦略的利点は失われた。

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