改訂新版 世界大百科事典 「臨時法制審議会」の意味・わかりやすい解説
臨時法制審議会 (りんじほうせいしんぎかい)
原敬内閣が,1919年7月9日に設置した法律制度を調査審議するための諮問機関。1907年に設置された法律取調委員会はこれにより廃止された。
この審議会設置の直接の理由は,19年1月17日の臨時教育会議の建議の中に,〈我国固有ノ淳風美俗ヲ維持シ法律制度ノ之ニ副ハサルモノヲ改正スルコト〉とあったことによる。その役割は,原敬がその発足にあたり,臨時法制審議会の総裁穂積陳重,副総裁平沼騏一郎に対し,〈維新已来我先輩の尽力にて何事も政府は一歩先に進み改良をなし来れり,故に余も此趣旨を取るべし,人民より迫られて始て処置を取る様にては国家の為めに憂ふべき事なり〉(《原敬日記》1919年7月10日)と訓示したように,第1次大戦後の社会秩序の動揺に先手を打って対処するために,法体制を再編成することであった。官制によれば,この審議会は,内閣総理大臣の監督に属し,その諮詢に応じて法律制度を調査審議することを職責とし,内閣が任命する総裁,副総裁,30人以内の委員,臨時委員によって構成され,幹事・書記の補助を受ける。当初の委員には,富井政章,美濃部達吉など,政界,官界,財界,学界,法曹界から25名が,幹事には,牧野英一,穂積重遠など,内閣法制局,司法省,東京帝国大学から12名が任命された。諮問は,第1号(1919年7月25日)民法改正の要綱(主査委員長富井政章),第2号(1919年7月25日)陪審制度の綱領(主査委員長一木喜徳郎)に始まり,第3号(1920年6月28日)信託法の綱領(主査委員長岡野敬次郎),第4号(1921年11月28日)刑法改正の綱領(主査委員長倉富勇三郎),第5号(1923年6月23日)衆議院議員選挙法改正の要領(主査委員長倉富勇三郎),第6号(1923年6月28日)行政裁判法,訴願法改正の綱領(主査委員長岡野敬次郎)に及んだ。審議は,諮問された重要な法制度の制定・改正をめぐって,保守派と進歩派との意見の対立をみたが,結局は新しい社会状況に対応する法体制の再編成として収束された。
立法として実ったのは,1922年の信託法をはじめとして,限定付きながら国民の司法参加を認めた23年の陪審法,男子の普通選挙権を認めた25年の改正衆議院議員選挙法である。民法については,25年の親族編中改正の要綱,27年の相続編中改正の要綱が,刑法については1926年の刑法改正の綱領が議決された。これらに基づき,民法については数次にわたる人事法案,刑法については40年の刑法改正仮案が起草され,行政裁判法についても若干の改正案が作られたが,いずれも成案には至らなかった。しかし,これらは当時の実務および戦後の制度改正に大きな影響を与えた。臨時法制審議会は,1929年5月13日に廃止され,これに代わって法制審議会が設置された。
執筆者:利谷 信義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報