仏ソ相互援助条約(読み)ふっそそうごえんじょじょうやく(英語表記)Советско‐французский договор о взаимной помощи/Sovetsko-frantsuzskiy dogovor o vzaimnoy pomoshchi ロシア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「仏ソ相互援助条約」の意味・わかりやすい解説

仏ソ相互援助条約
ふっそそうごえんじょじょうやく
Советско‐французский договор о взаимной помощи/Sovetsko-frantsuzskiy dogovor o vzaimnoy pomoshchi ロシア語
Franco-Soviet Treaty of Mutual Assistance 英語
Traité franco-soviétique d'assistance mutuelle フランス語

1935年5月2日、パリでフランス外相ラバルと駐仏ソ連大使ポチョムキンによって調印された条約。同条約の起源は、1933~34年に仏ソによって提議された、ナチス・ドイツの脅威に対抗するための「東方ロカルノ案」にあった。東方ロカルノ案が瓦解(がかい)したのち、フランス、ソ連、チェコスロバキア間の相互援助条約締結問題が外交日程に上り、仏ソ間に本条約が成立する運びとなった。条約の内容は、ヨーロッパの一国より侵略の脅威または危険がある場合に国際連盟規約10条を遵守するためにとるべき措置を協議する(1条)、規約15条7項に規定された状況下でヨーロッパの一国から挑発によらない侵略を受けたとき、両国はただちに相互に援助を供与する(2条)、ヨーロッパの一国が挑発によらない侵略をなした場合、両国は規約16条の適用によって行動し、ただちに相互に援助を供与する、これと同様の援助義務を規約17条1項、同3項に規定された状況の場合に対しても負う(3条)というものであった。期限は五か年で、自動的に更新されることになっていた。同日調印された署名議定書は、仏ソ条約3条について、連盟理事会がなんら勧告をなさず、あるいは全会一致の決定に到達しえない場合にも援助を供与することを補足している。本条約は、フランスの右翼勢力の反対により批准が遅れ、翌36年3月27日になって批准書交換が行われた。ヒトラーは、同月7日この批准がロカルノ条約と矛盾するとしてロカルノ条約を破棄し、ラインラント非武装地帯に進駐した。

[植田隆子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仏ソ相互援助条約」の意味・わかりやすい解説

仏ソ相互援助条約
ふっソそうごえんじょじょうやく
Franco-Soviet Mutual Assistance Pact

1935年5月2日,パリで調印されたフランスとソ連の相互援助条約。有効期限5年。フランスは J.L.バルトゥー外相のもとに,当初集団安全保障体制によってドイツの侵略を阻止しようと,ドイツ,ソ連を含めた東方ロカルノ条約を目指して外交を展開し,34年9月ソ連の国際連盟加入を実現させた。しかしバルトゥー外相は同年 10月暗殺され,後任の P.ラバル外相は集団安全保障体制の成立には時間がかかるとして仏ソ相互援助条約の調印に踏切った。調印後フランスは国内の反ソ勢力の批判をやわらげるため批准に手間取り,36年2月ようやく国民議会 (下院) の批准に成功した。この条約はドイツとの友好関係を重視してきたソ連が,集団安全保障外交に方向転換する分水嶺の意味をもつ。これに対してドイツは3月,この条約はロカルノ条約の精神に反するとしてロカルノ条約の破棄を宣言,同時にラインラントに進駐した。

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