ルール占領(読み)ルールせんりょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルール占領」の意味・わかりやすい解説

ルール占領
ルールせんりょう
Occupation of the Ruhr

第1次世界大戦後,ドイツのベルサイユ条約の不履行を口実にフランスがベルギーととった占領政策。同条約によってドイツは賠償義務を課せられ,1921年5月 10億金マルクと現物による支払いを行なったが,22年度分の支払いについてはめどが立たず支払猶予を申出た。しかしこれを拒否したフランスはロンドン最後通牒に基づき 23年1月ベルギーとともにルール地方を占領した。フランスの実力行使に対しドイツの世論は硬化し,官民あげていわゆる「消極的抵抗」を試みた。しかしルール占領によりドイツのインフレは天文学的数字に達し,また A.ヒトラーが 23年 11月にミュンヘン一揆を起すなど政情不安となり,結局アメリカ,イギリスの仲介ドーズ案が成立,ようやく賠償問題も解決してルール占領にも終止符が打たれた。 (→ドイツ賠償問題 )  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルール占領」の意味・わかりやすい解説

ルール占領
るーるせんりょう

ドイツ賠償問題

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