現代外国人名録2016 「ラウル・ゴンサレス」の解説
ラウル・ゴンサレス
Raúl Gonzáles
- 職業・肩書
- 元サッカー選手
- 国籍
- スペイン
- 生年月日
- 1977年6月27日
- 出生地
- マドリード
- 本名
- ブランコ,ラウル・ゴンサレス〈Blanco,Raúl Gonzáles〉
- 経歴
- 10歳で地元マドリードのカラサンスでサッカーを始める。12歳でアトレティコ・マドリードの少年チームに入り、14歳でジュニアユース入り。1992年レアル・マドリードの下部組織へ移り、14歳以下のチームの時、65ゴールを記録したという。’94年10月、17歳4ケ月のクラブ史上最年少でトップチームに引き上げられ、対サラゴサ戦でデビュー。1年目のシーズンにリーグ優勝を経験、28試合で9得点を挙げてチームの攻撃陣に欠かせない存在となった。2年目は40試合で19得点を挙げ、2005年までの9年間で約13億円の契約を結ぶ。’96〜97年シーズンには21ゴール(42試合)を挙げて、リーグ優勝に大きく貢献。’98年チームのトヨタ杯(現・クラブW杯)優勝に貢献しMVPを獲得。’98〜99年、2000〜2001年スペインリーグ得点王。2000〜2001年、2002〜2003年、2006〜2007年、2007〜2008年チームのリーグ優勝に貢献。この間、欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)で、1998年、2000年、2002年優勝。レアルではクラブ史上最多の323得点を挙げた。2010〜2011年シーズン、ドイツのシャルケに電撃移籍。2011〜2012年シーズン、欧州CL4強、ドイツ杯優勝に貢献。シャルケ所属の2年間で、リーグ28得点を挙げた。日本代表の内田篤人ともプレー。2012〜2013年シーズン、カタールのアルサッドを経て、2014年12月米ニューヨーク・コスモスに移籍。スペイン代表としては、1995年世界ユース選手権でベスト4進出の立役者として活躍。’96年10月の対チェコ戦でA代表デビュー。’98年初のW杯となったフランス大会は1次リーグで2ゴールを挙げる。2002年W杯日韓共催大会は3得点を挙げ、スペインのベスト8に貢献。2006年W杯ドイツ大会ベスト16。2015年11月現役を引退。左利きでテクニックとスピードを兼ね備え、ゴール前の俊敏さ、得点力とパスセンスにも優れ、スペインサッカー界の至宝といわれた。“白い巨人”とも称された。プロキャリアで一度も退場や累積警告による出場停止処分を受けたことがなかった。現役時代は182センチ、73キロ。愛称“エル・ニーニョ(子供)”“エル・アンヘル・デ・マドリード(マドリードの天使)”。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報