ラトル・ド・タシニー(読み)らとるどたしにー(英語表記)Jean de Lattre de Tassigny

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラトル・ド・タシニー」の意味・わかりやすい解説

ラトル・ド・タシニー
らとるどたしにー
Jean de Lattre de Tassigny
(1889―1952)

フランス軍人。バンデー生まれ。陸軍大学を首席で卒業。1942年11月ドイツ軍の自由地帯進駐に反対してビシー政府に10年の禁錮刑を宣告されるが、国外逃亡して自由フランス軍に参加した。1944年8月南フランスに再上陸し、フランス第一軍を率いてフランス解放とドイツ占領に多大の貢献。1945年5月9日ベルリンでドイツ軍の降伏文書にフランス代表として調印した。戦後はフランス陸軍総監、北大西洋条約機構NATO(ナトー))地上軍最高司令官歴任したのち、1950年インドシナ高等弁務官兼最高司令官に任ぜられ、第一次インドシナ戦争で一時戦局を好転させるが1952年に病死。死後元帥となる。

[平瀬徹也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラトル・ド・タシニー」の意味・わかりやすい解説

ラトル・ド・タシニー
Lattre de Tassigny, Jean-Marie-Gabriel de

[生]1889.2.2. バンディ
[没]1952.1.11. パリ
フランスの陸軍軍人,大将。 1911年陸軍士官学校卒業。第1次世界大戦に従軍後,モロッコに駐在した。第2次世界大戦中は第一線で戦い,一時捕虜となったが脱出に成功。 43年北アフリカに行き,フランス第1軍団司令官となった。 44年ライン方面からドイツを攻略,45年5月8日,ベルリンにおいてドイツ降伏文書にフランスを代表して署名した。その後,陸軍監察長官,西ヨーロッパ連合軍地上部隊司令官,50年よりインドシナ高等弁務官兼同派遣軍最高司令官などを歴任。死後元帥。

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