ラマッツィーニ
Bernardino Ramazzini
生没年:1633-1714
イタリアの医学者。モデナ公国のカルピに生まれ,パルマ大学で哲学,医学を学ぶ。故郷で医業に携わったのち,モデナ大学さらにパドバ大学に招かれて医学を講じ,当代一流の学者として盛名をはせる。彼の名を不朽のものにしたのはその著《働く人々の病気De morbis artificum diatriba》(1700。改訂版1713)で,英訳(1705)をはじめ西欧各国で翻訳されたほか,労働衛生学,職業病学の古典として後世に大きな影響を与えた。本書は初版では42の職業について,作業の実態,罹患しやすい病気の症状,治療法,予防法を記している。扱う職種が多いこと,古代以来の文献を渉猟しつつもあわせて実地の見聞に基づく知見を盛りこんでいること,職業従事者に対するヒューマニスティックな態度などにより,当時においては画期的な著作であった。
執筆者:松宮 由洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のラマッツィーニの言及
【癌】より
… 性生活は女性の生殖器癌の発生に深い関係がある。イタリアの医師ラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633‐1714)が尼に乳癌が多いと記載したのは1700年のことであるが,この観察は現在も生きている。乳癌は,未婚の女子に高く,また既婚者でも,結婚年齢の高いもの,より正確には初産年齢の高いものほど多い。…
【頸肩腕症候群】より
… こうした職業性の健康障害は,日本では,すでに古く《日本書紀》の中に写経生の病気として記され,〈書痙〉として知られていた。医師の詳しい観察としては,イタリアのラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633‐1714)が1700年その著書《働く人々の病気》の中で,書記,写字生の病気として記し,その発症要因として,手指および上肢のみならず,姿勢の拘束性および精神・神経の緊張を挙げて,症状と作業の関連を総合的に把握して説明しており,この見解は今日にも通ずる。 労働省は1964年の通達で,これをキーパンチ作業にもとづく障害として業務上疾病の扱いにしたが,しだいに広範な職種に発生するようになったことから,78年の法令改正の際に,〈作業態様にもとづく疾病〉の一つとして,業務上疾病のリストに加えた。…
【鉱山病】より
…パラケルススは《鉱夫病》(1567)という専門書を著し,塵肺や金属中毒の因果関係を初めて見抜いた。続いて労働医学の祖といわれるラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633‐1714)は《働く人々の病気》(1700)で〈鉱夫の病気〉を冒頭に掲げ,その病因と症状を詳しく論じた。 日本でも,鉱山開発が急速に進められた江戸時代になると,鉱山労働者に職業病が発生し,また近隣に鉱毒による公害をもたらした。…
【産業衛生】より
…16世紀のG.アグリコラの著書《[デ・レ・メタリカ]》には,すでに鉱山における科学的な研究の体系が記されているが,そのなかには坑内の排水,換気などの環境整備のための衛生工学の実際,坑内の環境や労働の非衛生的な状態による災害や病気の生々しい記録が詳細に記され,鉱山を維持するための工学,衛生学,社会経済学の総合の必要性が述べられており,産業衛生の基本的認識がすでにできあがっていることがうかがえる。同じころパラケルススの《鉱夫病とその他の鉱山病》(1533‐34),ついでシュトックハウゼンの《一酸化鉛の有害煙気による病気と鉱夫肺労》(1656)が著され,やがてイタリアのラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633‐1714)の《働く人々の病気De morbis artificum diatriba》(1700)が現れ,ヒッポクラテス以来の職業と健康に関する知識が集大成された。ほぼ同時代の日本には,佐渡の金山で,坑内の換気のために通気坑を3年がかりで掘ったという記録(1663)や,珪肺(よろけ)の記録(1756)があるが,産業の規模は小さく,産業衛生活動はヨーロッパとは比べられないほど遅れていた。…
【職業病】より
…これについてはパラケルススも《鉱夫病》(1567)の中で述べており,原因はヒ素あるいは放射能と考えられる。 ヨーロッパに工場制手工業が発達しはじめた1700年に,イタリアの医師ラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633‐1714)によって職業病の古典といわれる《働く人々の病気》が書かれた。そこには鉱夫,鍍金屋,化学者,陶器師,鍛冶屋,薬剤師,染物屋,油製造人,石屋,織物工,農民,漁夫など50余の職種について,その労働環境に起因する疾病が詳細に記述されている。…
※「ラマッツィーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」