ラーコーツィ・フェレンツ2世(読み)ラーコーツィ・フェレンツにせい(その他表記)Rákóczi Ferenc II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ラーコーツィ・フェレンツ2世
ラーコーツィ・フェレンツにせい
Rákóczi Ferenc II

[生]1676.3.27. ボルシ
[没]1735.4.8. ロドスト
最後のトランシルバニア侯 (在位 1704~11) ,ハンガリー独立運動の指導者。 12歳のときハプスブルク家の手により母から引離され,ボヘミアのイエズス会の学校に預けられた。 1694年帰国を許され,その後同郷人の感化のもとに独立運動に身を投じた。密告により捕われたが,首尾よくポーランドに逃れ (01) ,2年後農民蜂起に呼応して帰国 (03) 。スペイン継承戦争におけるフランスの勝利に期待して反乱を指導。国土の大半を手中に収めて,1704年トランシルバニア侯となり,信仰の自由を公認したが,フランス側の形勢が不利になるとともに劣勢となり,11年オーストリア和議を結んで (→サトマールの講和 ) ,亡命。ポーランド,フランスを流浪,さらにオスマン帝国におもむき (17) ,客死した。政治家としては凡庸であったが,その悲劇的な生涯は同時代および後世のハンガリー人の愛国的感情を強く刺激した。またそのフランス語,ラテン語,ハンガリー語での回想録,懺悔録は文学作品としての価値が高い。

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367日誕生日大事典 の解説

ラーコーツィ・フェレンツ2世

生年月日:1676年3月27日
ハンガリー独立運動指導者
1735年没

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