日本大百科全書(ニッポニカ) 「リトル・フィート」の意味・わかりやすい解説
リトル・フィート
りとるふぃーと
Little Feat
アメリカのロック・バンド。1970年代のロサンゼルスのロック・シーンを代表する存在。彼らは商業的には大きな成功は収めなかったものの、ソングライティング、ミュージシャンシップ、南部的な音楽性によって批評家、ミュージシャンの間で絶大な評価を得た。
フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インベンションに在籍していたローウェル・ジョージLowell George(1943―1979、ボーカル、ギター)とロイ・エストラーダRoy Estrada(1943― 、ベース)、ビル・ペインBill Payne(1949― 、キーボード)、リッチー・ヘイワードRichie Hayward(1946―2010、ドラム)により、1969年に結成。1971年に『リトル・フィート・ファースト』でレコード・デビュー。同アルバムに収められていたジョージ作曲の「ウィリン」は、数多くのシンガーに取り上げられる。より多彩な要素を取り入れた2作目の『セイリン・シューズ』(1972)は、英米の批評家、ミュージシャンの間で評判になる。しかし、商業的には成功せず、バンドは活動停止を余儀なくされ、メンバーを改めて活動を再開する。1973年の『ディキシー・チキン』は新生リトル・フィートの新しい音楽性を示した。南部的なファンキーなリズムと、デビュー当時からジョージがもっていたブルース、ソウル・ミュージック、リズム・アンド・ブルース、カントリー、フォークなどのアメリカン・ミュージックへの志向性を包括し、ユーモアのセンスを加えた作風が一段とスケール・アップした形で展開され、支持者の間ではバンドは絶賛されたが、商業的な成功は果たせなかった。その後のアルバム『アメイジング!』(1974)、『ラスト・レコード・アルバム』(1975)ではファンキーなリズムが強化され、時によってはスティーリー・ダンのようにジャズやフュージョンのタッチも加えられた質の高いアルバムを発表する。初期はジョージのワンマン・バンド的な色合いが濃かったが、バンドの音楽性の移行に伴って、むしろバンドの主導権はほかのメンバーが掌握するケースが増えていった。ギタリストとしても評価が高かったジョージは、ほかのミュージシャンとのセッション活動やプロデュースに邁進する。また、リトル・フィートは初期からミュージシャンの間で評価が高かったこともあり、ロバート・パーマーRobert Palmer(1949―2003)を始めとして、数多くのシンガーやアーティストのバックも務めた。
『タイム・ラブズ・ア・ヒーロー』(1977)では、バンドは脱ジョージ色をいっそう強め、またジョージ自身の健康状態の悪化もあり、バンド内の空気は穏やかなものではなかった。かねてから評価の高かったライブをレコード化した『ウェイティング・フォー・コロンブス』(1978)を最後にジョージはリトル・フィートを脱退。その後ジョージはソロ・アルバムをリリースし、そのツアー中に心臓発作で世を去る。バンドは『ダウン・オン・ザ・ファーム』(1979)を最後に解散するが、1988年に再結成した。
[中山義雄]