ロサンゼルス(読み)ろさんぜるす(英語表記)Los Angeles

翻訳|Los Angeles

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロサンゼルス」の意味・わかりやすい解説

ロサンゼルス
ろさんぜるす
Los Angeles

アメリカ合衆国、カリフォルニア州南部の商工業都市。太平洋岸に位置し、ニューヨークに次いで同国の商工業を代表する都市の一つである。人口369万4820(2000)。ロング・ビーチ、アナハイムなどを含む大都市圏人口は1637万3645(2000)に達し、ともにニューヨークに次いで全米第2位である。西は太平洋、北はサンタ・モニカ山脈、東はサン・ガブリエル山脈、南はサン・ペドロ湾にそれぞれ面し、標高は0~850メートルまでの適度な起伏をもち、小盆地の連続する平坦(へいたん)地に街が展開する。気候は、1年の晴天日数が325日にも達する典型的な地中海式で、この恵まれた風土が同市の今日の繁栄を招いたといえる。

[伊藤達雄]

産業

同市は全米一の工業地帯の中心である。その主柱は航空機、通信機、コンピュータ、自動車などで、とくに航空宇宙産業はロッキード・マーチン、マクダネル・ダグラスノースロップ・グラマン、ヒューズノースアメリカンなどの各社の主力工場・研究所が立地しており、防衛用軍事の支出でも全米一である。シンク・タンクとして名高いランド・コーポレーションなどの頭脳産業も多く、電子系の先端産業は北カリフォルニアのシリコンバレーには及ばないが、ニュー・イングランドと肩を並べている。ほかにも繊維、金属、石油関連、化学、食品、印刷など多様である。これら製品の流通の窓口となっているのが、サン・ペドロ湾に面するロング・ビーチ港とロサンゼルス港で、両港を合計すると全米第5位の取扱量になり、太平洋岸では最大である。ともに太平洋経済圏と密接な関係をもち、漁港、軍港としても重要である。

 一方、1908年からハリウッドを中心に始まった映画産業もわずかの間に急成長した。晴天の多い乾燥した気候と変化に富んだ風景がフィルム産業と映画撮影に適しており、最盛期の1930~1940年代にはメトロ・ゴールドウィンメーヤー、ワーナー・ブラザーズ、20世紀フォックス、パラマウント、コロンビアユニバーサルなどの巨大映画会社が年間400本もの映画を制作して、ロサンゼルスの名を世界に広めた。テレビの出現後は映画の観客数が激減したが、ハリウッドはテレビ用映画の制作に転向し、現在もこの分野で世界の中心にある。また、同市は降雨の少ない半砂漠の気候のため、水資源が深刻な問題であったが、1936年にコロラド水系総合開発計画の一環としてフーバーダムが完成し、コロラド水道が敷かれてからはいちおうの解決をみた。こうしてロサンゼルスのイメージは一変し、大量の人口が流入し、1950年には早くも200万に達し、全米第4位の大都市となった。

[伊藤達雄]

交通

航空交通でも重要な地位にあり、ロサンゼルス国際空港とロング・ビーチ空港の離着陸回数の合計では、世界でもっとも多忙な空港といわれるシカゴオヘア国際空港を上回る。

 また、同市は自動車なしには生活できない、自動車時代のアメリカを代表する都市として有名である。1940年にはアメリカで最初の都市高速道路パサディナ・フリーウェーが開通し、以来、高速道路システムによる新しいタイプの都市をつくってきた。緑の芝生をもつ広大な郊外住宅地の生活様式は、アメリカ人にとっても「カリフォルニアの夢」といわれた。しかし、一方では市街の中心が駐車場と道路に占拠され、それでも朝夕の交通渋滞は解決せず、盆地性の地形は排気ガスによる大気汚染をひどくさせるばかりで、自動車公害の都市としても先駆となった。近年、地下鉄など公共大量輸送機関の必要性が市民の間にも認識されてきているが、あまりにも広大で低密度のため実現をみていない。軌道による市内交通機関のまったくない、希有の大都市である。

[伊藤達雄]

人種・文化

同市はかつてスペイン、メキシコ領であったことから、スペイン系人種や黒人が多く、また、太平洋地域に対する玄関でもあるため東洋系人種も多く、人種問題に原因する事件が後を絶たない。1965年に中心部の南にある黒人地区のワッツ地区で4日間続いた黒人暴動は死者34人、負傷者1034人、逮捕者4000人を出し、全米の耳目を集めた。高級アパートや豪華な店舗、美術館が並び、南カリフォルニアでもっとも優雅な街路といわれるウィルシャー大通りや、ちり一つなくアメリカでもっとも格式の高い街といわれ、観光の対象にもなるビバリー・ヒルズなどとは対照的な世界がそこに現存する。そうした都市問題解決のための努力が、都心地区の再開発などによって徐々にではあるが進んでいる。同市は南カリフォルニアの文化・芸術の中心都市でもある。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校をはじめとする十余りの主要大学、歴史博物館、美術館などの水準は高い。1974年に完成したミュージック・センターを本拠とするロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団も、アメリカ最高のオーケストラの一つとされている。

[伊藤達雄]

歴史

1769年、スペイン軍人ガスパー・デ・ポルトラGaspar de Portolà(1723ころ―1784ころ)の一行は、今日のロサンゼルス付近のインディアン集落地に到着し、ロス・アンヘルス(天使の村)と名づけた。1781年、スペイン帝国カリフォルニア総督フェリペ・デ・ネーベは入植者を送り込み、公式の領土とした。1822年メキシコ領となり、1835年メキシコ議会はロサンゼルスをカリフォルニアの首都と宣言した。1846年、提督チャールズ・フリーモントに率いられたアメリカ合衆国軍隊により占領された。その後、住民の蜂起(ほうき)により奪回されるが、ふたたび将軍ケアリーにより占領された。1885年にサザン・パシフィック鉄道とサンタ・フェ鉄道が接続され、東部との交流が発展し、人口も急増した。1903年にはサン・ペドロ港が完成し、南カリフォルニアの主要な貿易港となり、石油の開発は経済発展を促進することとなった。

[庄司啓一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロサンゼルス」の意味・わかりやすい解説

ロサンゼルス
Los Angeles

アメリカ合衆国,カリフォルニア州南部にある同国第2の大都市。 1769年 G.ポルトラと J.クレスピ神父の率いるスペイン探検隊が先住民族インディアンの村ヤン・ナに達し,野営地の近くを流れていた川を「聖母ポルシウンクラの天使の女王」と呼んだ。 81年メキシコからの入植者がここに定住し,「天使の女王の町」 El Pueblo de la Reina de Los Angelesと名づけたが,その一部「天使」 Los Angelesが現地名の起源といわれる。その後スペイン人が移住。 1835年,メキシコはロサンゼルスをカリフォルニアの首都とすることを宣言した。 48年アメリカ合衆国領。 50年市制。鉄道の開通とともに柑橘類の集散地となり,市の南 35kmのサンペドロ港が建設されて商工業がめざましく発展した。第2次世界大戦後は航空機生産の全国的中心地となった。 20世紀初頭にハンティントンビーチやシグナルヒル,サンタフェスプリングズに大油田が発見されたほか,ホウ砂や鉄鉱石などの採掘が行われた。市が半砂漠地域に位置するため,水資源の確保が,今日にいたるまで最重要課題である。 1913年に完成したロサンゼルス水路は,シエラネバダ山脈の東を流れるオーウェンズ川の水をモハーベ砂漠を経由して市内に引いてくるもので,全長 375kmあり,この種のものとしては世界最長である。また現在は商業と金融の中心であり,航空宇宙,製薬,ガラス,ゴム,セメント,石油精製,食品加工,エレクトロニクスなど多種の工業が発達している。北西部のハリウッドは 02年以来の映画産業の中心であり,現在はテレビ放送の中心。住民構成は複雑で,第2次世界大戦後黒人が増加し,70年には 50万人をこえ,その中心であるワッツ地区では,60年代に何度か暴動が起き,92年4月には白人警察官の黒人殴打事件に対する無罪判決が引き金になって史上最大の暴動が起きた。メキシコ系住民もほぼ 50万人に達し,市東部に集中している。日系人も多く,「リトルトーキョー」と呼ばれる地区は,現在ビジネス街に変貌しつつある。市内外には,南カリフォルニア大学やカリフォルニア工科大学,カリフォルニア大学ロサンゼルス校,ジェット推進研究所をはじめ各種の高等研究機関が設けられている。大都市圏は東西と南に延び,パサディナやアルハンブラ,バーバンク,グレンデール,サンタモニカ,コンプトンなどの都市を圏内に収めてロングビーチと連接大都市圏を形成し,さらに南東のアナハイム,サンタアナ,リバーサイドを含めた巨大都市圏は面積約1万 540km2に及び,人口は 1500万人に近い。人口 379万2621(2010)。

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