リバニオス(その他表記)Libanios

改訂新版 世界大百科事典 「リバニオス」の意味・わかりやすい解説

リバニオス
Libanios
生没年:314-393ころ

古代末期ギリシア弁論家,修辞学者。小アジアのアンティオキア名門に生まれ,アテナイ,コンスタンティノープル,ニコメディア,ニカエアなどの学問的中心地で修辞学の研鑽を積んだ。〈背教者〉ユリアヌス帝の知遇を得て,人生後半を故郷で過ごし,流麗な古典風ギリシア語を駆使して多数の祝典演説や政治的内容の上提文,文芸・歴史学的な論文,弁論技術の入門指導書,当時の政治家や著名人あてのおびただしい数の書簡などを著した。その大半は伝存して擬古ギリシア語散文の範とされている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リバニオス」の意味・わかりやすい解説

リバニオス
Libanios

[生]314
[没]393
ギリシアの雄弁家。アンチオキア出身。コンスタンチノープル雄弁術学校開設。多数の演説,書簡,デモステネス研究などを残した。

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世界大百科事典(旧版)内のリバニオスの言及

【バシレイオス[カッパドキアの]】より

…カッパドキアのカエサレアの富裕な名門の家に生まれ,生地およびコンスタンティノープル,アテナイで学んだ。その間にナジアンゾスのグレゴリオスと友情を結び,アテナイでは異教の哲学者リバニオスLibanios(314‐393ころ)の門で,のちにローマ皇帝として異教の復活をはかったユリアヌスとともに学んだ。ギリシア古典の深い知識を身につけたバシレイオスは,世俗の名声を捨て,修道生活を志し,ポントス地方のイリス川に臨む家族の領地にひきこもった。…

【バシレイオス[カッパドキアの]】より

…カッパドキアのカエサレアの富裕な名門の家に生まれ,生地およびコンスタンティノープル,アテナイで学んだ。その間にナジアンゾスのグレゴリオスと友情を結び,アテナイでは異教の哲学者リバニオスLibanios(314‐393ころ)の門で,のちにローマ皇帝として異教の復活をはかったユリアヌスとともに学んだ。ギリシア古典の深い知識を身につけたバシレイオスは,世俗の名声を捨て,修道生活を志し,ポントス地方のイリス川に臨む家族の領地にひきこもった。…

※「リバニオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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