ローマ七丘(読み)ローマしちきゅう

改訂新版 世界大百科事典 「ローマ七丘」の意味・わかりやすい解説

ローマ七丘 (ローマしちきゅう)

古代ローマ市内の七つの丘。ふつうパラティヌス,カピトリヌス,アウェンティヌス,カエリウス,エスクイリヌス,ウィミナリス,クイリナリスの七丘をいう。ローマ市では帝政期に至るまで12月11日に七丘の住民がパラティヌス丘で供犠を行う〈七丘祭〉が挙行されたが,この七丘は上記の七丘ではなく,もっと狭い範囲内の七つの丘ないし区であった。すなわちパラティヌス,ウェリア,ファグタル,スブラ,ケルマルス,オッピウス,キスピウスである。こちらの方が極めて古いローマの市域を表し,先に挙げた七丘は都市国家が形成された後の市域である。現在のローマ市の七丘は,カンピドリオ(古代のカピトリヌス),パラティノ(パラティヌス),クイリナレ(クイリナリス),ピンチョ,アベンティノ(アウェンティヌス),ジャニコロ,オッピオ(オッピウス)である。
ローマ[市]
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローマ七丘」の意味・わかりやすい解説

ローマ七丘
ローマしちきゅう
Septimontium

古代ローマの基礎となったテベレ川東岸の7つの丘。クイリナリス,ウィミナリス,エスクイリヌス,カエリウス,パラチヌス,アウェンチヌス,カピトリヌス (カピトル) をさす。前8~7世紀頃パラチヌス丘によるラテン人クイリナリス丘によるサビニ人が都市国家ローマを形成し,その中間カピトリヌス丘城塞に,そのふもとの低地フォールム (広場) として発展した。

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世界大百科事典(旧版)内のローマ七丘の言及

【ローマ】より

…これらの集落の一つがローマで,伝承ではアルバ・ロンガのラテン人によって建設されたという。ローマの占拠した土地が海にもイタリア中部にも近い地理的条件をもち,塩の道をも制していたことなどのため,ローマはしだいに近隣の集落より強力となり,前6世紀の初めまでに近隣7丘(ローマ七丘)の集落が合体して都市(ウルプス,ポリス)を形成した。考古学的証拠を総合すると前575年より以後ではないと考えられている。…

※「ローマ七丘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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