翻訳|sacrifice
神霊に対して供物(くもつ)や生贄(いけにえ)を捧(ささ)げること。初穂を神に供えることと、人間を宗教的に殺戮(さつりく)する人身御供(ひとみごくう)とでは、「残酷さ」という基準において大きな隔たりがある。したがって一般には、供物offeringと生贄victimとを区別して、生贄それも人身の供犠を歴史的先行形態と考え、人間感情の成熟とともに人身から動物へ、生贄から供物へと供犠が変化してきたと説明できる。しかし、このような供物と生贄との区別は、「残酷さ」という近代人の感覚を基準としたものであり、本質的根拠に欠け、かえって供犠という現象の全体性を理解しにくくしている。同時に、供犠という広範な現象のなかで、とくに近代人が「残酷だ」と感じるような殺戮、流血といった特定の要素だけが供犠として強調される傾向がある。このことがさらに、供犠―残酷―野蛮―未開という狭隘(きょうあい)な観念連合を生み出す。そもそも神前にて奴隷ののど笛をかき切ってその死肉を食べることと、仏壇に供えたおはぎを食べることとは同じである。アステカ人は毎年5月と12月の2回、小麦粉をこねて大神の像をつくり、これを礼拝したのちに砕いて厳かに食べた。また9月には美しい少女奴隷を女神の装束で飾り礼拝したのちに、彼女の首をはねて鮮血を振りまいた。彼女の手足が食べられることもあった。このことは、供物が犠牲の単なる代替物ではないことを示している。供物も人身御供もともに供犠の一部を形成している。サクリファイスsacrificeの原義は「聖化」であり、その意味ではあらゆる聖なる行為をサクリファイスとよぶことができる。実際に、その形態や機能は多様だが、供犠はあらゆる文化に広範にみられる現象である。
供犠として捧げられるものは多様である。供物としては初穂などの新穀のほかに酒類や乳製品などがある。動物犠牲としてはウシ、ヒツジ、ヤギなどの食用家畜が一般的だが、ほとんどすべての動物が犠牲となる。犠牲のと畜法も斬殺(ざんさつ)、刺殺、絞殺、撲殺などいろいろだが、アイヌやインドのように流血を好まない場合がある。供物やと畜された犠牲は、人間によって消費される以外は、破砕、散布、焼却などによって処理される。こうした供物や犠牲は、神霊に対して捧げられるのだが、その目的は、霊的交流、贈与、交換、取引、厄払い、浄化、贖罪(しょくざい)、生命力の獲得などである。
供犠についての学説は、神に対する贈与であるという考え(タイラーの贈与説)や、神と人間が犠牲を共食することによって交流するという考え(ロバートソン‐スミスの交流説)などが有名であるが、犠牲の性質に対する考え方によって三つに分けられる。(1)犠牲を単なるモノとみなす(贈与説)。(2)神と犠牲との同一化を強調する(ロバートソン‐スミス、フレーザー)。(3)人間と犠牲との同一化を強調する(ユベールとモース)。しかしリーチによれば、犠牲を聖界と俗界との媒介物として位置づけることによって、これらの諸説を包括することができる。神霊の属する聖界と人間の属する俗界は排他的に区別されているのだが、この二つの世界を媒介する境界領域が供犠の行われるとき空間となる。したがって供犠に際して、供物や犠牲は聖化されるにしたがって俗界から境界へとその帰属を移し、その聖性の高まりにおいて破却される。この時点で、俗界と聖界は混交した状態にあり、犠牲はきわめて危険なものとなりタブー視される。この後、犠牲の生命は聖界へ帰属して神霊のものとなり、死体は俗界に帰属して人間のものとなる。このことによって混交した二つの世界はふたたび分離され、俗界は安定を回復するとともに生命力、浄化力、繁殖力などを獲得している。すなわち、供犠が対立する聖俗界を媒介することにより、聖界の超越的な力が俗界に転移する。こうした力が供犠によって要請されるのは、病気や干魃(かんばつ)といった危機に際してであり、ジラールはギリシア神話における供犠の背景に共同体の危機をみている。
[杉野昭博]
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[儀礼研究の歴史]
儀礼に関する研究で19世紀末以前とそれ以降とをつなぐものはロバートソン・スミスWilliam Robertson‐Smithの論考である。神学者でもあった彼は,宗教における儀礼を教義と同等に重要なものとみなし,信者たちの共同の行為としての儀礼,とくに供犠・共食の行動が,神と信者の間の宗教的意味のみならず,信者集団の共同性や紐帯に対し効用を持つと主張した。20世紀初頭,デュルケームは,聖なる領域と俗なる領域を分ける考えに基づき,儀礼はその二つの領域を連結する行為としてとらえ,たとえば動物の供犠は,日常生活のこの世と超自然的な存在のいるあの世とを結ぶ行為と解釈した。…
…宗教儀礼の分類の仕方には種々あるが,儀礼において,動物等の殺害ないし供物の破壊をともなう儀礼を,宗教学,文化人類学では一般に犠牲sacrificeと呼んでいる。もともとこの言葉はラテン語でsacer+facere,つまり〈聖なるものにする〉という意味を含み,日本語の生贄(いけにえ),供犠(くぎ)に該当する。ただその儀礼的な意味から考えると,たんなる〈供え〉とは異なるだけに,犠牲という語のほうが適切であると思われる。…
…サンスクリットのプージャーまたはプージャナーpūjanāの訳。これらの語はもともと〈尊敬〉を意味し,したがって,相手に対する尊敬の念から香華などを捧げるのが供養で,この点,バラモン教でいう,なんらかの報酬を求めあるいは感謝の意を表すために神々に犠牲を捧げる〈供犠(くぎ)〉(ヤジュニャyajña)とはその意味を異にする。仏教は慈悲を重んじ殺生を禁じるため,ことさらに供犠に代わって供養の語を用いたともいう。…
※「供犠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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