ワルトブルク祭(読み)わるとぶるくさい(その他表記)Wartburgfest ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワルトブルク祭」の意味・わかりやすい解説

ワルトブルク祭
わるとぶるくさい
Wartburgfest ドイツ語

1817年10月18~19日、イエナブルシェンシャフト(学生組合)の呼びかけでルターの宗教改革300周年およびライプツィヒ戦勝を記念して、アイゼナハ近郊のワルトブルクで開かれた祭典。13のドイツの大学から約500名の学生が数名のイエナ大学教授とともに参加した。ルターの破門威嚇勅書焼き捨てにちなんで、フランス支配を象徴するナポレオン法典と君主支配を象徴する品々(反動的書物、プロイセン槍騎(そうき)兵の上着、オーストリア軍の分隊指揮杖(じょう)など)を焼き、ウィーン体制反対の示威を行った。この祭典は、直接には翌年全ドイツ・ブルシェンシャフトの結成をもたらすが、同時にドイツ自由主義運動の最初の烽火(ほうか)でもあった。

[岡崎勝世]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のワルトブルク祭の言及

【ブルシェンシャフト】より

…つまり,ブルシェンシャフトの主流をなす前者は,ドイツ統一を〈精神的修養,ドイツ的風習の復興,ホーエンシュタウフェン帝国への復帰〉という方法で実現しようとし,近代的ナショナリズムとゲルマン至上主義を分かち難く結びつけていたのに対し,〈ギーセンの黒衣派〉〈絶対派〉とも呼ばれた後者はカールおよびアドルフ・フォレンの両兄弟の指導のもと共和主義を掲げ,直接行動を主張した。 ブルシェンシャフト運動がその最大の高揚を迎えたのは,17年10月17~18日のワルトブルク祭である。ライプチヒ会戦4周年,宗教改革300年を記念して,アイゼナハ郊外のワルトブルク城に全ドイツのブルシェンシャフト員460名以上を集めてドイツ統一のための大示威集会が催された。…

【ワルトブルク】より

…1714年以後,ザクセン・ワイマール領。宗教改革300周年の1817年に,学生団体〈ブルシェンシャフト〉の祝祭(ワルトブルク祭Wartburgfest)が,この古城で開かれた。【田中 真造】。…

※「ワルトブルク祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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