日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルシェンシャフト」の意味・わかりやすい解説
ブルシェンシャフト
ぶるしぇんしゃふと
Burschenschaft ドイツ語
ドイツにおける自由主義運動の重要な一翼を担った学生団体。若者仲間の意で、「学生組合」ともいう。1815年6月イエナ大学で、従来出身地別に構成されていた学生団体ラントマンシャフトLandmannschaftの分立主義を否定して、単一の組織として結成された。中心となったのは、リュツォー義勇軍に属して対フランス解放戦争を戦った帰還学生で、その軍服にちなんで黒・赤・金旗を採用し、名誉・自由・祖国を標語としてドイツの自由と統一を主張した。運動は急速に拡大し、17年のワルトブルク祭を契機に翌年10月全ドイツ・ブルシェンシャフトが結成され、14大学がこれに参加してドイツ自由主義運動の最初の高揚期を形成した。メッテルニヒは、急進派学生K・L・ザントによる劇作家コッツェブーの暗殺事件を機に、19年カールスバートの決議を連邦議会に行わせ、ブルシェンシャフトを禁止して運動を厳しく弾圧した。しかし、以後も秘密結社によって運動は続けられ、32年のハンバハ祭以後は黒・赤・金旗はドイツ自由主義運動全体の象徴となった。40年代には「進歩主義運動」を形成して大学民主化闘争を行い、48年の革命には指導者の一母体として積極的に参加したが、革命の敗北後政治的意味を失った。
[岡崎勝世]