モンロー(英語表記)Marilyn Monroe

デジタル大辞泉 「モンロー」の意味・読み・例文・類語

モンロー(Marilyn Monroe)

[1926~1962]米国の映画女優。性的魅力とナイーブさで人気を得た。出演作「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「七年目の浮気」。

モンロー(James Monroe)

[1758~1831]米国の政治家。第5代大統領。在任1817~1825。新旧両世界の相互不干渉をうたったモンロー主義を提唱した。

モンロー(Monroe)

米国ルイジアナ州北部の都市。ウォシタ川に面し、対岸のウエストモンローと同一都市圏を構成する。1916年に天然ガス田が発見され、工業都市として発展。

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精選版 日本国語大辞典 「モンロー」の意味・読み・例文・類語

モンロー

  1. [ 一 ] ( James Monroe ジェームズ━ ) アメリカ合衆国第五代大統領(在任一八一七‐二五)。一八〇三年フランス特使としてルイジアナ買収に成功。二三年、モンロー宣言の教書を発表した。(一七五八‐一八三一
  2. [ 二 ] ( Marilyn Monroe マリリン━ ) アメリカの映画女優。魅惑的な肉体によって「セックス‐シンボル」の名を与えられ、ハリウッドの大スターとなった。主な作品に「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」。(一九二六‐六二

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改訂新版 世界大百科事典 「モンロー」の意味・わかりやすい解説

モンロー
Marilyn Monroe
生没年:1926-62

アメリカの映画女優。ヒップのふくらみを強調してセクシーに腰を振って歩く〈モンロー・ウォーク〉で知られ,おそらくはハリウッド史上最大のセックス・シンボルとして記憶されるスターである。

 本名はノーマ・ジーン・ベーカーNorma Jean Baker。私生児としてロサンゼルスに生まれる。母グラディス・ベーカーは精神障害の病歴があり,そのため孤児院や里親の家を転々として幼年時代を送った。16歳で結婚してまもなく離婚,写真のモデルとして各種の雑誌の表紙を飾って人気を得,1946年,週給125ドルで20世紀フォックスと1年契約を結び,ノーマ・ジーン・ベーカーからマリリン・モンローという名の女優となった。コロムビアをへて50年にふたたびフォックスと契約し,ジョン・ヒューストン監督の《アスファルト・ジャングル》(1950),ジョゼフ・L.マンキーウィッツ監督の《イヴの総て》(1950)の端役で注目されて〈新進スター〉の一人に数えられ,ヘンリー・ハサウェー監督の《ナイアガラ》(1953)で独特の〈モンロー・ウォーク〉が評判となり,続く《紳士は金髪がお好き》《百万長者と結婚する方法》(ともに1953)によってフォックスの〈マネーメーキング・スター〉になるとともに,ハリウッドの新しい〈セックス・シンボル〉となった。54年には《帰らざる河》《ショウほど素敵な商売はない》,55年には《七年目の浮気》が公開され,またこの間プロ野球のヒーローだったジョー・ディマジオとの結婚・離婚によっても話題をにぎわした。

 しかし,モンロー自身はフォックスの企画と型にはまった役柄に反発してニューヨークで〈マリリン・モンロー・プロ〉を設立,〈アクターズ・スチュディオ〉のリー・ストラスバーグのもとで個人的に演技指導を受け,《カラマーゾフの兄弟》のヒロイン,グルシェンカを演ずることを夢に描いた。その後,私生活の乱れと撮影での遅刻常習をめぐって作品ごとにトラブルを繰り返し,62年には,《荒馬と女》(1961)につづいて製作されていた《女房は生きていた》からおろされて,そのしばらくのち,ロサンゼルスの自宅で裸体のまま死体となって発見された。その死因が自殺,事故死,他殺のいずれであったのか,いまなお多くのなぞに包まれている。

 モンローについては生前から伝記が書かれ,死後も評伝や秘話があいついで出版された。死後さまざまに〈伝説化〉されているモンローは,いわゆる〈大女優〉ではなかったが,《アスファルト・ジャングル》から《荒馬と女》にいたる11年間に,ハリウッドに2億ドルの収益をもたらした〈大スター〉であった。その実像は,劇作家アーサー・ミラー(モンローのために《荒馬と女》の脚本を書いた)に対する〈尊敬を恋愛と誤認〉し,ユダヤ教に改宗までして結婚したほど〈芸術と知性に対する英雄崇拝〉を抱いている純情な女であったともいわれる。また,〈マリリン・モンロー・プロ〉の《王子と踊る》(1957)の監督と共演を引き受けたローレンス・オリビエは,〈モンローこそは誇大宣伝とセンセーショナリズムの完全な犠牲者である〉と語っている。モンローの死は,同じ62年に死亡したノーベル文学賞作家ウィリアム・フォークナーの死よりも大きくアメリカの新聞で扱われ,イタリアでは法王庁の機関紙から共産党の機関紙まで〈肉体女優〉の死の原因を論じ,ソビエトの政府機関紙《イズベスチヤ》は〈ハリウッドがモンローを生み,そのハリウッドがモンローを殺した〉と論じた。
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モンロー
James Monroe
生没年:1758-1831

アメリカ合衆国の政治家,第5代大統領。在職1817-25年。バージニア州出身。建国期に州や連邦のさまざまな要職を歴任し,1803年には特使としてフランスと交渉に当たり,ルイジアナと呼ばれていた広大な西部地域の購入に成功した。11年から17年までマディソン大統領の下で国務長官を務めた後,リパブリカン党に推され大統領となり2期8年間在任した。1816年までには対抗政党のフェデラリスト党が衰えたため,モンローは2度とも対立候補なしで大統領に当選した。建国期にはバージニアの政治家が大統領になることが多く,〈バージニア王朝〉と呼ばれたが,モンローはこの〈王朝〉最後の大統領である。大統領としての彼は外交面で多くの功績を残し,とくにモンロー主義の表明によって知られている。18年にはルイジアナ地方とイギリス領カナダとの境界を北緯49°の線に定め,19年にはスペインからフロリダ地方を買収し,また太平洋岸地方のスペイン領の北限を条約で定め,合衆国の太平洋岸への進出の布石とした。アメリカ外交の基本原則となったモンロー主義は23年末,議会への教書の中で表明された。当時スペインから独立したラテン・アメリカ諸国にヨーロッパ大陸の神聖同盟諸国が干渉する可能性があり,イギリスから共同で干渉反対を表明しようという呼びかけがあった。モンローは国務長官ジョン・クインジー・アダムズの助言により,アメリカ政府の立場を単独で表明することにし,ヨーロッパ問題への不介入の原則を確認するとともに,ヨーロッパ諸国による西半球での植民地の新たな拡大と,神聖同盟諸国による西半球の国々への干渉とに対して反対を表明した。植民地拡大への反対が言及されたのは,当時ロシア領アラスカの南方への拡大を防ぐための交渉を進めていたからである。彼は在任中リパブリカン党のまとまりの保持に努力したが,対立政党がない時に党の統一を保つことは難しく,24年までには党の統一は崩れた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンロー」の意味・わかりやすい解説

モンロー(Marilyn Monroe)
もんろー
Marilyn Monroe
(1926―1962)

アメリカの映画女優。本名はNorma Jean Baker。精神障害のある母の私生児としてロサンゼルスに生まれ、貧しい少女時代を送り、16歳で結婚。その後離婚し、カレンダーのヌード・モデルなどをするうち、映画に小さい役をつかむようになった。二十世紀フォックスは彼女の主演作『ナイアガラ』(1953)公開に際し、腰を振って歩く「モンロー・ウォーク」を中心にはでな宣伝を展開、世界のセックス・シンボルに祭り上げた。代表作に『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』(1953)、『帰らざる河』(1954)、『七年目の浮気』(1955)、『バス停留所』(1956)、『王子と踊子』(1957)、『お熱いのがお好き』(1959)がある。セックス・アピールばかりでなく、喜劇的な才能も開花し、主題歌も歌った。野球のジョー・ディマジオ、劇作家のアーサー・ミラーとの結婚と離婚、撮影所とのトラブルは無数で、つねに話題をにぎわせた。1962年8月5日、自宅で薬物死しているところを発見され、死亡は前夜と推定されている。死因をめぐって、公式には睡眠薬の飲みすぎによる自殺とされているが、ジョンおよびロバート・ケネディ兄弟と親密な関係にあったことから、謀殺説も根強く伝えられている。

[日野康一]

『亀井俊介著『マリリン・モンロー』(岩波新書)』『N・メイラー著、中井勲訳『マリリン』(1981・講談社)』『A・サマーズ著、中田耕治訳『女神――マリリン・モンロー』(1987・サンケイ出版)』『G・スタイネム著、道下匡子訳『マリリン』(1987・草思社)』


モンロー(Bill Monroe)
もんろー
Bill Monroe
(1911―1996)

アメリカのカントリー歌手、フラット・マンドリン奏者。アメリカ第5代大統領J・モンローの末裔(まつえい)の家に8人兄弟の末っ子として、ケンタッキー州に生まれた。1920年代から兄チャーリーとマウンテン音楽で活躍。39年にブルーグラス・ボーイズを結成、45年にレスター・フラットLester Flatt(1914―79)やアール・スクラッグスEarl Scruggs(1924― )らを加えて独自のスタイルを完成した。50年ごろからマウンテン音楽はブルーグラスbluegrassと称されるようになり、彼はブルーグラスの父とよばれ敬愛された。1925年から続くカントリー音楽の公開番組「グランド・オール・オープリ」には39年以来晩年まで出演。ヒット曲に『ミュール・スキナー・ブルース』(1939)のほか、『ケンタッキーの青い月』『ケンタッキー・ワルツ』などがある。

[青木 啓]

『ロバート・キャントウェル著、木邨和彦訳『風の歌ブルーグラス――懐かしい南部の響き』(2000・旺史社)』


モンロー(James Monroe)
もんろー
James Monroe
(1758―1831)

アメリカ合衆国第5代大統領(在任1817~25)。4月28日、バージニアのウェストモーランドに生まれる。大学在学中に独立革命軍に参加、1780年に退役後、法律を学ぶ。82年にバージニア邦議会議員となり、翌年連合会議への代表に選出される。合衆国憲法の批准には反対した。その後合衆国上院議員(1790~94)、フランスへの全権大使(1794~96)、バージニア州知事、ルイジアナ購入(1803)の特使、国務長官(1811~17)などを経て、1816年、連邦派の勢力衰退のなかで大統領に選出される。党派的対立の鎮静したこの「好感情の時代」に、彼はJ・Q・アダムズ国務長官らの強力な閣僚に支えられ、ナショナリズムの興隆を背景に、フロリダ購入(1819)、モンロー宣言(1823)などを行った。二度目の任期終了後、バージニアに引退し、31年7月4日にニューヨークで死去。

[竹本友子]



モンロー(アメリカ合衆国)
もんろー
Monroe

アメリカ合衆国、ルイジアナ州北部の工業都市。人口5万3107(2000)。ウォシタ川に面し、天然ガス田の中心地として知られる。化学、製紙、木工、衣服などの工業が発達している。1780年にミロ砦(とりで)が建設され、85年に定住が始まった。集落は綿花の取引地であったが、1860年代の鉄道の開通によって発展し、1900年に市となった。1916年の天然ガス田の発見によって工業都市として成長した。

[菅野峰明]


モンロー(Alexander Monro)
もんろー
Alexander Monro
(1733―1817)

イギリスの解剖学者。エジンバラに生まれる。父を継いで神経解剖学を研究。1758年エジンバラ大学解剖学教授。『神経系の構造と機能の観察』(1783)、『脳・眼・耳に関する三論文』(1797)、『脳の病理解剖学』(1827)は高く評価される。モンロー孔(第三脳室と側脳室の間の室間孔)、モンロー腔(くう)、モンロー溝(視床下溝)、モンロー裂(海馬溝)など脳の解剖学名にその名を残している。

[澤野啓一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンロー」の意味・わかりやすい解説

モンロー
Monroe, Marilyn

[生]1926.6.1. ロサンゼルス
[没]1962.8.5. ロサンゼルス
マリリン・モンロー。アメリカ合衆国の映画女優。原名 Norma Jeane Mortenson,その後,母の姓 Bakerを名のり,Norma Jean Baker(Jeanは Jeaneと綴られることもある)となる。1950年代に数々の商業的成功を収めた映画に出演し,セックスシンボルとも称され,ハリウッド映画界の大スターとなった。
1942年,16歳で結婚し,まもなく離婚。写真のモデルなどで人気を得て,1946年に映画会社の 20世紀フォックスと契約,芸名をマリリン・モンローとする。ジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』(1950),ジョゼフ・マンキウィッツ監督の『イヴの総て』(1950)などで認められ,ヘンリー・ハサウェー監督の『ナイアガラ』(1953)で披露した「モンロー・ウォーク」で人気を博する。大リーガーのジョー・ディマジオ,劇作家のアーサー・ミラーとの結婚・離婚を繰り返し,1962年8月5日,自宅で死亡しているところを発見された。死因については,自殺あるいは事故死,他殺とさまざまに取りざたされ,いまなお多くの謎を残している。おもな作品に,『紳士は金髪がお好き』(1953),『百万長者と結婚する方法』(1953),『帰らざる河』(1954),『ショウほど素敵な商売はない』(1954),『七年目の浮気』(1955),『バス停留所』(1956),『王子と踊子』(1957),『お熱いのがお好き』(1959),『荒馬と女』(1961)などがある。

モンロー
Monroe, James

[生]1758.4.28. バージニア,ウェストモーランド
[没]1831.7.4. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの政治家,外交官。第5代大統領 (在任 1817~25) 。 1776年学業を中断してアメリカ独立戦争に参加。 80年より T.ジェファーソンのもとで法律を学んだ。 82年バージニア邦議会議員,83~86年大陸会議代表となり,州権を主張して連邦憲法制定には反対票を投じた。 90~94年連邦上院議員,94~96年フランス駐在公使,99~1802年バージニア州知事。 02年特命全権公使としてフランスに渡り,ルイジアナ買収に成功。 03~07年イギリス駐在公使。 11~17年 J.マジソン大統領の国務長官をつとめ,アメリカ=イギリス戦争 (12) では開戦を主張し,14~15年陸軍長官を兼任。 16年大統領に選出された。当選後リパブリカンズ (共和派) 1党支配のいわゆる「グッド・フィーリング時代」を迎え政党的対立はなく,20年にも容易に再選された。おりしもアメリカは一大飛躍期を迎え西部への発展もめざましいものがあったが,彼のおもな業績はフロリダ買収などの外交面にあり,23年 12月有名なモンロー主義を発表して,アメリカの伝統的外交政策の基礎をつくった。

モンロー
Monroe, Harriet

[生]1860.12.23. シカゴ
[没]1936.9.26. ペルー,アレキパ
アメリカの女流詩人,編集者。シカゴで新聞の劇評や美術批評に従事するかたわら詩作,1912年『ポエトリー』 Poetry誌を創刊,35年まで主宰して,T.S.エリオットサンドバーグ,V.リンゼー,パウンドなど実験的な詩人の紹介に努め,新詩運動に貢献するとともに,第1次世界大戦前後のいわゆる「シカゴ・ルネサンス」の中心として活躍。主著,詩集『バリーリア』 Valeria and Other Poems (1892) ,『あなたと私』 You and I (1914) ,『詩選集』 Chosen Poems (35) ,評論集『詩人とその芸術』 Poets and Their Art (26,新版 32) 。そのほか詩劇集,自伝『ある詩人の生涯』A Poet's Life (38) がある。

モンロー
Monroe, Paul

[生]1869.6.7. インディアナ,ノースマジソン
[没]1947.12.6. ニューヨーク
アメリカの教育学者,教育史学者。フランクリン大学,シカゴ大学,ハイデルベルク大学で学び,1902年コロンビア大学教授,15年同大学学長,21年付属国際研究所所長をつとめ,37年東京で開催された第7回世界教育会議の議長をつとめた。『教育百科事典』 Cyclopaedia of Education (5巻,1910~13) を編纂したほか,『教育史教科書』A Textbook in the History of Education (05) ,『アメリカ公立学校制度の形成』 Founding of the American Public School System (40) などの著書がある。

モンロー
Monro, Alexander Tertius

[生]1773.11.5. エディンバラ
[没]1859.3.10. クレーグロックハート
イギリスの医師。 A.P.モンローの孫で A.S.モンローの子。 1797年エディンバラ大学で学位を取得,ロンドン,パリに遊学後,エディンバラに帰って同大学に勤め,父と共同講座を担当したが,父の病後もその講座を担当,1817年に専任教授となり,46年引退した。祖父や父のような医学上の業績は残さずに終った。

モンロー
Monro, Harold

[生]1879.3.14. ブリュッセル
[没]1932.3.16. ロンドン
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学卒業。『全詩集』 Collected Poems (1933) は T.S.エリオットの序文つきで出版されたが,詩人としてよりも雑誌『ポエトリー・レビュー』 (12) や書店 Poetry Bookshop (13~32) の創設者として重要。後者はイマジズムなど現代詩を育てる母体となった。

モンロー
Monro, Alexander Primus

[生]1697.9.8. ロンドン
[没]1767.7.10. エディンバラ
イギリスの医師。ライデン大学で教えていた H.ブールハーフェの門下で,解剖学者であり外科医。 1720~64年,新設のエディンバラ大学医学部の解剖学および外科の初代教授。黄疸が胆管の閉塞によって起ることを証明し,多くの外科処置用具を創案するほか,骨の解剖などに業績を残している。

モンロー
Monro, Alexander Secundus

[生]1733.5.20. エディンバラ
[没]1817.10.2. エディンバラ
イギリスの解剖学者。 A.P.モンローの子。 1759~1808年,エディンバラ大学解剖学教授。父にまさる教師で学者であった。粘液嚢について業績を残しているほか,脳室間孔にモンロー孔 M.'s foramen,視床下溝にモンロー溝 M.'s sulcusの名を残している。

モンロー
Monroe

アメリカ合衆国,ミシガン州南東部にある都市。州内で唯一のエリー湖岸の港。 1784年フランス系カナダ人の入植によって成立,フレンチタウンと呼ばれていた。 1817年 J.モンロー大統領にちなんで改名。付近は肥沃な農業地帯で,州南東部の中心地でもある。自動車部品,その他各種の工業が発達。人口2万 2902 (1990) 。

モンロー
Monroe

アメリカ合衆国,ルイジアナ州北東部の都市。ウォシトー川に面する。 1785年入植当時はフォート・ミロと呼ばれたが,1819年に現名に改称。付近に国内最大の天然ガス油田があり,約 1000km2に 2000以上の採ガス井をもつ。化学工業も発達。牧牛が行われ,綿実油なども産する。人口5万 4909 (1990) 。

モンロー
Monro, Thomas

[生]1759
[没]1833.5.15.
イギリスの医師,画家。ロンドンの開業医であったが,J.ジャポルトの弟子として,ゲインズバラ風の絵を描き,風俗画家,美術家のパトロンとして知られた。

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百科事典マイペディア 「モンロー」の意味・わかりやすい解説

モンロー

米国の映画女優。本名ノーマ・ジーン・ベーカー。カリフォルニア州生れ。1946年映画界入り。《ナイアガラ》(1953年)での〈モンロー・ウォーク〉とこの年創刊された雑誌《プレイボーイ》に載った無名時代のヌード写真が大きな話題を呼んだ。《紳士は金髪がお好き》(1953年),《七年目の浮気》(1955年),《お熱いのがお好き》(1959年)等で〈セックス・シンボル〉として世界的な人気を得た。野球選手J.ディマジオ,劇作家A.ミラーらとの結婚歴がある。1962年に自宅で裸体のまま死体となって発見されたが,その死因は謎につつまれている。
→関連項目ウォーホルゲーブルヒューストンホークスミッチャム

モンロー

米国の政治家。第5代大統領(1817年―1825年)。建国期に州,連邦の要職を歴任し,1803年にはルイジアナ購入をまとめ,1811年―1817年マディソン政権の国務長官を経て,大統領に。リパブリカンズの支持で2期8年在任。1819年にはフロリダ買収,1823年にはモンロー主義を表明した。
→関連項目モンロビア

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旺文社世界史事典 三訂版 「モンロー」の解説

モンロー
James Monroe

1758〜1831
アメリカの第5代大統領(在任1817〜25)
ヴァージニア出身。アメリカ独立戦争で片足を失うが,そののち駐仏・駐英大使,国務長官をへて大統領に当選した。内政面でフロリダ買収・カナダ国境画定・ミズーリ協定の締結などを行ういっぽう,外交面では1823年にモンロー教書(宣言)を発し,ウィーン体制に打撃を与えた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「モンロー」の解説

モンロー
James Monroe

1758~1831

アメリカ建国期の政治家。ヴァージニア出身。種々の政治的要職を歴任したのち,2期にわたり大統領(在任1817~25)を務めた。彼の施政はモンロー主義の宣言によって知られる。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のモンローの言及

【グラマー女優】より

…しかしことばそのものは流行語になるとともに風化していき,やがて30年代の〈セクシーな〉女優の大半が安易に〈グラマーガールglamour girl〉の名で呼ばれるに至り(その中には〈ベビー・バンプ〉とも呼ばれたメエ・ウェストもいた),また,38年には,ファッションの世界でも〈ベスト・ドレッサー〉の代名詞として使われるようになり,ブレンダ・フレーザーという黒髪の美女に〈グラマーガール〉のニックネームが付されて話題を呼んだ。戦後はグラマーということばの本来の意味がすっかりすたれ,ハリウッドでは,ときには〈知的なブロンド美女〉としてグレース・ケリーに〈グラマラス〉という形容詞が使われる一方,〈豊満な肉体のブロンド美女〉としてマリリン・モンローに〈グラマー〉の名が冠せられたりした。【柏倉 昌美】【広岡 勉】。…

【プレイボーイ】より

…1953年冬に,もと《エスクワイア》誌のコピーライターだったヘフナーHugh Hefner(1926‐ )がシカゴで創刊。独特の快楽主義で貫かれた内容,デザインと,毎号選ばれる〈職業臭を感じさせない〉若い女性のカラー・ヌード写真の折込み(創刊号では同年封切りの《ナイアガラ》で名が出ることになるマリリン・モンローを使った)を売りものにした。雑誌と並行して全米の主要都市につくられた〈プレイボーイ・クラブ〉は,豊かな乳房をもち,ウサギの衣装をつけた〈バニー・ガール〉によって関心を呼び,1960年までに同誌の広告収入は200万ドル,予約購読者は100万人に達し,〈プレイボーイ帝国〉が築かれていった。…

※「モンロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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