アレクサンドリア教校(読み)アレクサンドリアきょうこう(その他表記)Catechetical School of Alexandria

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンドリア教校」の意味・わかりやすい解説

アレクサンドリア教校
アレクサンドリアきょうこう
Catechetical School of Alexandria

2~4世紀のアレクサンドリアにおけるキリスト教の教育機関。初めは受洗希望者のための簡単な教理教授機関であったが,アレクサンドリアは一般に学問が盛んで,キリスト教信者の間にも学問的に教理を研究しようとする傾向が強かったため,やがて信仰生活の実践的指導というより教養の完成としてのキリスト教の学問的伝授を目的として学院としての内実がそなわっていったと考えられ,神学の研究の前に幾何学,生理学,天文学,哲学 (特にプラトンアリストテレス) ,倫理学が教えられて,これがアレクサンドリア学派の拠点となった。クレメンスオリゲネスがその代表者でギリシア哲学とキリスト教との総合の問題もこの教校でいちはやく取上げられた。しかしこの後の学院としての発展を初期の教理教育機関と区別し,後者のみがアレクサンドリア教校とされることもある。

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世界大百科事典(旧版)内のアレクサンドリア教校の言及

【アレクサンドリア学派】より

…エフェソスのゼノドトス,ロドスのアポロニオス,サモトラケのアリスタルコスらにより,主としてホメロスの作品の校訂編纂や古典諸文献の収集を行った。(2)180年ころ,パンタイノスによりアレクサンドリアに設立された一種の私塾(アレクサンドリア教校)に形成された学派。この教校はアレクサンドリアのクレメンスオリゲネスへと継承され,新入信者へのキリスト教教理の問答による教授が行われた。…

※「アレクサンドリア教校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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