ウガンダ人民会議(読み)ウガンダじんみんかいぎ(その他表記)Uganda People's Congress

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウガンダ人民会議」の意味・わかりやすい解説

ウガンダ人民会議
ウガンダじんみんかいぎ
Uganda People's Congress

略称 UPCウガンダ政党で,1960年「アフリカ社会主義」の実現を掲げて設立。プロテスタント系住民を支持基盤とし,62年の独立以来 71年まで政権を握ったミルトン・オボテ大統領の支持政党として活動した。 71年1月,イディ・アミン将軍による軍事クーデターで政権を奪われ,79年4月にアミン大統領が失脚するまで地下活動に入った。アミン大統領失脚後の 80年 12月に行われた総選挙で勝利し,タンザニアに亡命していたオボテが帰国し大統領に復帰するが,85年7月軍事クーデターで再度失脚。 86年1月全権を掌握した国民抵抗運動に協力を呼びかけられるがそれに応ぜず,反政府活動を展開。 96年6月の国会選挙へのボイコットをめぐり党内は分裂した。

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世界大百科事典(旧版)内のウガンダ人民会議の言及

【ウガンダ】より

…翌年ブガンダ王ムテサ2世E.F.Mutesaがイギリスの東アフリカ連邦結成への動きに反対してロンドンに追放されると,UNCも王の帰還促進運動に加わったが,ブガンダ王国の政治運動に巻き込まれ,しだいに分裂を始めた。ムテサ2世は55年にイギリス政府の譲歩により帰還を許され,王党派の勢力が強まったため,UNC党員のうちブガンダ政治にあきたりない北部や西部出身者は脱党し,59年にウガンダ人民会議(UPC)を創設した。一方,王党派は61年にカバカ・イェッカ(KY)という政党をつくり,イギリスとの独立交渉の際,ブガンダ王国はウガンダの他地域から分離独立すべきことを主張,同年の立法審議会の総選挙をボイコットした。…

※「ウガンダ人民会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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