オランダ王国(読み)オランダ(その他表記)〈ポルトガル〉Holanda

デジタル大辞泉 「オランダ王国」の意味・読み・例文・類語

オランダ(〈ポルトガル〉Holanda)

ヨーロッパ北西部の立憲王国正称、オランダ王国。首都はアムステルダムだが、王室・政府機関などはハーグにある。北海沿岸の低地にあり、国土の4分の1は海面より低い。ハプスブルク家領・スペイン領を経て、1581年独立を宣言。17世紀にはヨーロッパ一の海外貿易国として発展し、1609年以来日本とも交易。農牧畜業、チューリップなどの園芸、金属などの工業が盛ん。人口1748万(2021)。オランダ語でネーデルラント。
[補説]同国の中心地域をさす「ホラント」のなまりからの称。「和蘭」「阿蘭陀」とも書く。

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旺文社世界史事典 三訂版 「オランダ王国」の解説

オランダ王国
オランダおうこく

ナポレオン1世がオランダ占領後に建てた王国
②ナポレオンの没落後,ウィーン会議によって成立したネーデルラント王国オランダ立憲王国
彼の弟ルイが国王(在位1806〜15)となった。ナポレオン3世はこの国王ルイの子。
初代国王はオラニエ公ウィレム1世。

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世界大百科事典(旧版)内のオランダ王国の言及

【オランダ】より

…18世紀,オランダの沈滞した政治と社会を改革しようとする〈民主派〉や〈愛国党〉の運動も見られたが成功せず,フランス革命の余波を受け,1795年フランス軍の侵入によってオランダ共和国は崩壊し,バタビア共和国(‐1806)が成立した。オランダ共和国八十年戦争
[ネーデルラント王国の成立]
 1806年ナポレオンは弟ルイをオランダ国王に任命してバタビア共和国をオランダ王国Koninkrijk Hollandとし,さらに,10年にはフランスに合併した。13年ナポレオンがライプチヒで大敗するとオランダ人は駐留フランス軍を追放し,イギリス亡命中のウィレム6世を主権者として迎えた。…

【バタビア共和国】より

…しかし,1804年ナポレオンがスヒンメルペンニンクRutger Jan Schimmelpenninck(1761‐1825)を国家首席に任命して独裁的権力を与え,事実上バタビア共和国は終わった。06年ナポレオンは弟ルイをオランダ国王に任命し,バタビア共和国はオランダ王国Koninkrijk Hollandとなったが,10年オランダ王国はフランスに合併された。【栗原 福也】。…

※「オランダ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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