ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルル・マルテル」の意味・わかりやすい解説
カルル・マルテル
Karl Martell; Charles Martel
[没]741.10.22. キエルジーシュルオアーズ
メロビング朝末期のフランク王国の宮宰 (在職 720~741) 。フランク王国の分国アウストラシアの宮宰ピピン (中ピピン) の庶子。父の死後,義母プレクトルートが摂政となったが,これを押えて,717年ネウストリア,ブルグンド,アウストラシアの宮宰となり,次いで 720年全フランクの宮宰となる。メロビング王家の衰退に乗じ,実力による支配確立に努力し,ザクセン,アラマンニなどを討った。 732年にはツール=ポアティエの戦いでサラセン軍を撃退し,ヨーロッパを異教徒の手から守った。このとき,サラセン騎兵に対抗するため教会領を没収して騎士に与え,歩兵中心のフランク兵制を改革したことが,封建的主従関係の一段階をなした。 733年以降メロビング王家空位のため,実質上カロリング家のマルテルが全土を支配,正式には子供のピピン (小ピピン) がカロリング朝を開いた。
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