クストリッツァ(読み)くすとりっつぁ(英語表記)Emir Kusturica

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クストリッツァ
くすとりっつぁ
Emir Kusturica
(1954― )

ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)の映画監督。サライエボ生まれ。中等学校(ギムナジウム)を卒業後、東欧における映画研究の中心であった旧チェコスロバキアのプラハ映画学院へ進んだ。1970年代のプラハは、ソ連・東欧軍による1968年の「プラハの春」介入直後の「正常化」の時期にあたり、自由化のなかで花開いた1960年代のチェコスロバキア映画の輝きはすでに失われていたが、ここで演出と映画製作の基礎を身につけた。1979年にサライエボに戻り、テレビ映画製作に携わりながら、1981年に初の劇場用映画『ドリー・ベルを憶(おぼ)えている?』でベネチア国際映画祭新人監督賞を受賞した。ソ連と対立していた1950年当時のユーゴ社会を描いた第2作目の『パパは、出張中!』が、1985年のカンヌ国際映画祭で最高賞(グランプリ)を獲得し、1986年のアカデミー外国語映画賞にもノミネートされた。これを契機に、若手監督として一躍、映画界の注目を集め、3作目の『ジプシーのとき』は1989年のカンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞、1990年にはニューヨークのコロンビア大学映画学科に講師として招かれた。これは『カッコーの巣の上で』で知られているチェコスロバキア出身のフォアマン監督の後任であった。ニューヨーク滞在時には『アリゾナ・ドリーム』(1993)を製作し、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。1991年から祖国ユーゴの解体過程が進行し、ボスニア・ヘルツェゴビナも1992年春に独立を宣言。これに伴い、凄惨(せいさん)なボスニア内戦が展開された。この過程でムスリム勢力と対立し、ボスニアを離れる。パリなどを拠点として、ユーゴの戦後50年を批判的に描いた『アンダーグラウンド』が、1995年のカンヌ国際映画祭で、ふたたび最高賞(パルム・ドール)に輝いた。これまで一貫して故郷ボスニアを舞台として作品を製作してきたが、『アンダーグラウンド』はセルビア共和国の首都ベオグラードを舞台としている。ロマの世界をコミカルに描いた『黒猫・白猫』は、1998年のベネチア国際映画祭で銀獅子(じし)賞を受賞した。その挑戦的な映画作りはつねに多くの注目を集めている。2004年に『ライフ・イズ・ミラクル』を発表したあと、セルビアに居を定め、音楽活動も行っている。[柴 宜弘]

資料 監督作品一覧

ドリー・ベルを憶えている? Sjecas li se Dolly Bell?(1981)
パパは、出張中! Otac na sluzbenom putu(1985)
ジプシーのとき Dom za vesanje(1989)
アリゾナ・ドリーム Arizona Dream(1992)
アンダーグラウンド Underground(1995)
黒猫・白猫 Crna macka, beli macor(1998)
SUPER 8 Super 8 Stories(2001)
ライフ・イズ・ミラクル Zivot je cudo(2004)
それでも生きる子供たちへ~「ブルー・ジプシー」 All the Invisible Children - Blue Gypsy(2005)
ウェディング・ベルを鳴らせ! Zavet(2007)
マラドーナ Maradona by Kusturica(2008)

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