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スッピルリウマ Suppiluliuma

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世界大百科事典 第2版の解説

スッピルリウマ【Suppiluliuma】

?‐前1340ころ
ヒッタイト新王国の第5代の王。在位,前1380ころ‐前1340年ころ。生涯を戦陣の間に過ごし,新王国を古代オリエントの列強の一つに並ぶに至らしめ,自らも〈大王〉の称号を用いた。即位したのち,南東方の隣国ミタンニ王国を攻め,またシリアに進出したが,小アジア北辺の山岳地から本国を騒がせた蛮族征討のため帰郷。ひとまずこの方面を平定ののち,ミタンニの内紛に乗じてこの国を保護下に置き,さらにユーフラテス川左岸の要地カルガミス(旧約のカルケミシュ)を版図に加えたが,ふたたび反乱をおこした北方の蛮族を攻伐中,疫病のため陣没した。

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世界大百科事典内のスッピルリウマの言及

【ヒッタイト】より


[研究史]
 19世紀後半,北シリア,アナトリアの各地で未知の象形文字碑文が発見され,その文字が旧約聖書のヘテ人(びと)との関連で論議されるようになった。その一方,1887年,エジプトで〈アマルナ文書〉が発見され,ヒッタイト王スッピルリウマがエジプト王にあてた書簡やその他の外交文書から,前14世紀ヒッタイトが北シリア,アナトリア一帯を領有する一大勢力であったことが明らかになった。そして1906年,ドイツのアッシリア学者H.ウィンクラーは,トルコの首都アンカラの東約150kmにあるボアズキョイに隣接する都市遺跡の発掘に着手,06‐07年,11‐12年の発掘で,1万枚を超す粘土板を発見した。…

※「スッピルリウマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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