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ドルゴルーキー家 ドルゴルーキーけDolgorukie (Dolgorukovy)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドルゴルーキー家
ドルゴルーキーけ
Dolgorukie (Dolgorukovy)

ロシアの由緒ある公爵家。リューリクの後裔ミハイル・フセボロドビッチ (チェルニゴフスク公,1247没) に始るという。代々すぐれた人物を生んだが,17世紀に入ってから特に著名な人物を輩出した。ユーリー・アレクセービッチ (1682没) はアレクセイ1世の側近で,ラージンの乱を鎮圧,幼いフョードル帝の後見人となった。ヤーコフ・フョードロビッチ (39~1720) とその弟グリゴーリー (1656~1723) はともにピョートル1世 (大帝) の下で仕え,ヤーコフはアゾフ遠征やナルバの戦いで活躍,のちに監査参議会長官となり,グリゴーリーはポーランド大使として,ポーランドに反スウェーデンの立場を取らせることに成功した。ヤーコフの甥ワシーリー・ルキッチ (1670頃~1739) は各国駐在大使を歴任したあと,1727年最高枢密院議員となり,アンナ・イワーノブナ帝に「諸条件」をつけて専制の制限を企てたが,女帝即位後逮捕され,のちに処刑された。イワン・ミハイロビッチ (64~1823) はウラジーミル総督をつとめる一方,抒情詩人,喜劇作者としても知られ,その回想記は当時の大貴族の家庭の生活を伝えている。またワシーリー・アンドレービッチ (04~68) はペトラシェフスキー事件の審理にあたり,A.F.オルロフの跡を継いで憲兵隊長官兼「第3課 (政治警察) 」長官をつとめたことで知られている。

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