ナルバ(英語表記)Narva

デジタル大辞泉 「ナルバ」の意味・読み・例文・類語

ナルバ(Narva)

エストニア北東部の都市タリンタルトゥに次いで同国第3の規模をもつ。ナルバ川を挟んでロシアの都市イワンゴロドと接する。オイルシェールを産し、同国有数の工業地域。労働者として移住してきたロシア語系住民が9割以上を占める。かつて「バルト海真珠」と称されるバロック様式の街並みがあったが、第二次大戦のソ連軍による攻撃でその多くが失われた。エストニア独立後に再建されたナルバ城がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ナルバ」の意味・わかりやすい解説

ナルバ
Narva

バルト海沿岸,エストニア共和国北部の都市。人口6万7144(2005)。13世紀にフィンランド湾岸に建設されたこの町は,その後リボニア騎士団(1347-1558),ロシア(1558-81),スウェーデン(1581-1704)とその〈支配者〉は変わったが,北方戦争の過程で最終的にロシアへ編入された。バルト海への出口を求めて,1700年にスウェーデンに宣戦したロシア皇帝ピョートル1世の軍隊は,11月ナルバの要塞敗北を喫した(ナルバの会戦)。だがスウェーデン軍の主力がポーランド,ザクセンへ侵攻する間に,ロシア軍は1704年,ナルバを占拠した。戦争の終結(1721)とともに,正式にロシア領となり,現在に至る。18,19世紀には,バルト海の貨物取引港として繁栄した。現在は機械製造,綿織物工業の中心地として知られ,市内には市会議事堂(1668-71建)など,古い建造物も残っている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナルバ」の意味・わかりやすい解説

ナルバ
Narva

エストニア北東端の河港都市。首都タリンの東約 200km,ナルバ川がフィンランド湾に流入する地点より約 15km上流に位置する。 13世紀にデンマーク人の砦の保護下に建設された移民村が,市の起源。 1346年にデンマーク王バルデマール4世は市をドイツ騎士団に売渡した。 1558年にはロシアが占領し,81年にスウェーデン領となったが,1704年に北方戦争によって再びロシア領となった。 1918年エストニアの独立によってその都市となり,40~91年ソ連領。繊維工業都市で,クレンゴリム綿織物コンビナートが著名。ほかに家具,建設資材などの工業がある。西方ソルジナにはオイルシェール (油母頁岩) を燃料とするバルト火力発電所がある。歴史・郷土博物館がある。ロシアのサンクトペテルブルグとタリンを結ぶ鉄道,ハイウェーが通る。人口8万 3000 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「ナルバ」の意味・わかりやすい解説

ナルバ

エストニアの北東端の都市。フィンランド湾に近く,ロシアとの国境をなすナルバ川の左岸に位置する。町は13世紀に建設され,今も市内には14世紀に建てられた大聖堂や17世紀建築の市庁舎など,古い建物が残っている。19世紀の半ば以来,綿織物業の中心地で,ほかに機械製造,食品加工なども行なわれている。人口5万8663人(2011)。

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世界大百科事典(旧版)内のナルバの言及

【エストニア】より

…中部は低湿地が多く,南部はロームをかぶった丘がひろがる。月平均気温は1月のサーレマーで-2.3℃,北東端のナルバで-6.8℃,7月はそれぞれ16.3℃,17.4℃。雪は12月10日ごろから積もり始め,3月末に溶ける。…

※「ナルバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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