バルト海沿岸,エストニア共和国北部の都市。人口6万7144(2005)。13世紀にフィンランド湾岸に建設されたこの町は,その後リボニア騎士団(1347-1558),ロシア(1558-81),スウェーデン(1581-1704)とその〈支配者〉は変わったが,北方戦争の過程で最終的にロシアへ編入された。バルト海への出口を求めて,1700年にスウェーデンに宣戦したロシア皇帝ピョートル1世の軍隊は,11月ナルバの要塞で敗北を喫した(ナルバの会戦)。だがスウェーデン軍の主力がポーランド,ザクセンへ侵攻する間に,ロシア軍は1704年,ナルバを占拠した。戦争の終結(1721)とともに,正式にロシア領となり,現在に至る。18,19世紀には,バルト海の貨物取引港として繁栄した。現在は機械製造,綿織物工業の中心地として知られ,市内には市会議事堂(1668-71建)など,古い建造物も残っている。
執筆者:土肥 恒之
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…中部は低湿地が多く,南部はロームをかぶった丘がひろがる。月平均気温は1月のサーレマーで-2.3℃,北東端のナルバで-6.8℃,7月はそれぞれ16.3℃,17.4℃。雪は12月10日ごろから積もり始め,3月末に溶ける。…
※「ナルバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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