日本大百科全書(ニッポニカ) 「リューリク」の意味・わかりやすい解説
リューリク
りゅーりく
Рюрик/Ryurik
(?―879)
ロシアのリューリク王朝の祖。ロシア最古の年代記の伝えるところによると、内紛に悩むロシア(ルーシ)諸族は「海の彼方(かなた)のワリャーギ(ノルマン人)」の下に使節を派遣し、彼らを統治する公を求めた。この招請に応じてロシアへきたのがリューリク、シネウス、トルボルの三兄弟であった(862ころ)。そのうち最後まで生き残ったリューリクが全権力を握ったという。年代記の以上の記述から後代の人々は、古代ロシア国家がノルマン人のリューリクによって建てられたと考えた。今日この説には反対が多く、リューリクの存在を否定する説、否定しないまでも、彼を征服者とする説、あるいはロシア国家は東スラブ人社会の長期の内在的発展の結果成立したとする説など多くの説がある。リューリクの死後、その子イーゴリを擁したオレーグがキエフ(キーウ)を占領し(882)、ここにリューリク朝の基礎が築かれた。以後16世紀末に至るロシア諸公位はすべてリューリクの子孫が占めることになった。
[栗生沢猛夫]
『国本哲男著『ロシア国家の起源』(1976・ミネルヴァ書房)』