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ヌール・アッディーン Nūr al‐Dīn Maḥmūd

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世界大百科事典 第2版の解説

ヌール・アッディーン【Nūr al‐Dīn Maḥmūd】

1118‐74
シリアザンギー朝の初代君主。在位1146‐74年。父ザンギーの没後,アレッポを拠点にしてシリアを統一し,十字軍に対する聖戦(ジハード)を指導してエデッサアンティオキアの一部を占領,またファーティマ朝の援軍要請に応えてサラーフ・アッディーンをエジプトに派遣しアイユーブ朝自立の因をつくった。セルジューク朝の伝統を継いでスンナ派擁護の政策をかかげ,ダマスクス,アレッポ,ヒムス(ホムス)などに学院(マドラサ)を建設した君主としても名高い。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のヌール・アッディーンの言及

【ウカイル朝】より

…シーア派としてファーティマ朝に従い,西進を続けるスンナ派のセルジューク朝と対決したが敗れた。次いでザンギー朝のヌール・アッディーンにも敗れ,その勢力は各地に分散し,やがてセルジューク朝に吸収された。以後当地にトルコ人の支配が確立した。…

【十字軍】より

…第1回十字軍の成功後まもなく騎士身分と修道士とを一身に兼ねる新しいタイプの社会的エリート集団が創造され,十字軍理念を高く掲げた〈騎士修道会〉を結成し,聖地の常備軍的性格の軍事力としてその後の十字軍に重要な役割を演ずることになる。フランス王ルイ7世,ドイツ王コンラート3世の遠征によるイスラム側ダマスクスへの攻撃(1148)は,喪失領土の回復戦略とはなり得ず,その敗退によってザンギー朝のヌール・アッディーンの下でのアレッポとダマスクスの同盟を許し,十字軍国家はシリア沿岸部の狭小な帯状地域に圧縮された。 12世紀中葉から末期にかけて,十字軍側と,ファーティマ朝を打倒してエジプトとシリアにまたがるイスラム統一勢力を結集した英傑サラーフ・アッディーン(サラディン)を始祖とするアイユーブ朝(1169‐1250)の〈ジハード(聖戦)〉との戦いは,エルサレムの争奪をめぐって熾烈となり,1187年7月ヒッティーンの戦に大勝したサラーフ・アッディーンはエルサレムを同年10月に奪回した。…

※「ヌール・アッディーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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