ハンヌ マンニネン(英語表記)Hannu Manninen

現代外国人名録2016 「ハンヌ マンニネン」の解説

ハンヌ マンニネン
Hannu Manninen

職業・肩書
元スキー選手(複合) ソルトレークシティ五輪スキー・ノルディック複合団体金メダリスト

国籍
フィンランド

生年月日
1978年4月17日

出生地
ロバニエミ

経歴
両親は体操の教師で、兄もノルディック複合の選手、妹は距離の選手。10歳でジャンプを始める。1994年リレハンメル五輪に出場し個人で11位。’98年長野五輪団体で銀メダル。2002年ソルトレークシティ五輪団体で金メダルを獲得、スプリントは7位。2004年、2005年、2006年3季連続でW杯総合優勝。2006年トリノ五輪は団体で銅メダル、個人9位、スプリント12位。W杯は総合で3連覇し、歴代1位の通算45勝を挙げながら、4度出場の五輪と6度出場の世界選手権の個人種目でメダルを獲得していなかったが、2007年2月世界選手権の複合個人スプリントで初の金メダルを獲得し、“無冠帝王”を返上した。同大会では妹ピルヨも距離リレーで優勝し、兄妹で金メダリストとなった。2006〜2007年シーズン、W杯総合で4連覇し、荻原健司の3連覇を更新。2008年5月引退を表明し1シーズン休んだが、引退を撤回して2009年11月W杯開幕戦に出場。翌日の第2戦で優勝して復活。2010年1月と3月にW杯で優勝し、ノルディック種目のW杯で史上最多となる通算48勝を記録。五輪5大会連続出場となったバンクーバー五輪では個人ラージヒル4位、団体7位に終わり、悲願の五輪個人種目での金メダル獲得は果たせなかった。2011年引退。

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最新 世界スポーツ人名事典 「ハンヌ マンニネン」の解説

ハンヌ マンニネン
Hannu Manninen
スキー

スキー選手(複合)
生年月日:1978年4月17日
国籍:フィンランド
出生地:ロバニエミ
経歴:両親は体操の教師で、兄もノルディック複合の選手、妹はクロスカントリーの選手。10歳でジャンプを始める。1994年リレハンメル五輪に出場し個人で11位。’98年長野五輪団体で銀メダル。2002年ソルトレークシティ五輪団体で金メダルを獲得、スプリントは7位。2004年、2005年、2006年3季連続でW杯総合優勝。2006年トリノ五輪は団体で銅メダル、個人9位、スプリント12位。W杯は総合で3連覇し、歴代1位の通算45勝を挙げながら、4度出場の五輪と6度出場の世界選手権の個人種目でメダルを獲得していなかったが、2007年2月世界選手権の複合個人スプリントで初の金メダルを獲得し、“無冠の帝王”を返上した。同大会では妹ピルヨもクロスカントリーリレーで優勝し、兄妹で金メダリストとなった。2006〜2007年シーズン、W杯総合で4連覇し、荻原健司の3連覇を更新。2008年5月引退を表明し1シーズン休んだが、引退を撤回して2009年11月W杯開幕戦に出場。翌日の第2戦で優勝して復活。2010年1月と3月にW杯で優勝し、ノルディック種目のW杯で史上最多となる通算48勝を記録。五輪5大会連続出場となったバンクーバー五輪では個人ラージヒル4位、団体7位に終わり、悲願の五輪個人種目での金メダル獲得は果たせなかった。2011年引退。

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