日本大百科全書(ニッポニカ) 「パレスチナ自治選挙」の意味・わかりやすい解説
パレスチナ自治選挙
ぱれすちなじちせんきょ
Elections in Palestine
パレスチナ自治区におけるパレスチナ立法評議会(PLC:Palestinian Legislative Council)、パレスチナ自治政府(PA)議長(大統領)、地方評議会の選挙。立法評議会の第1回総選挙は、1996年1月、ガザ地区とヨルダン川西岸地区、東エルサレムで、自治政府議長選挙と同時に行われた。
1993年9月にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で合意された「パレスチナ暫定自治合意」(オスロ合意)により、ガザ地区、ヨルダン川西岸でのパレスチナ暫定自治が実現することになった。「ガザ・エリコ合意」(カイロ合意)、「暫定自治拡大合意」(第二オスロ合意)を経て、パレスチナ立法評議会選挙および自治政府の議長選挙が実施された。
ヨルダン川西岸とガザ地区、東エルサレムの有権者は102万8000人。この選挙には国際選挙監視団が派遣され、日本からも民間人を含む77名が参加した。選挙は暫定自治反対派がボイコットしたものの、71.7%の高い投票率でおおむね順調に行われた。この結果、自治政府の議長としてアラファトPLO議長が選出され、評議会は定数88議席のうちPLOの主流派であるファタハが55議席を獲得して自治政府が誕生した。
また、たび重なる延期によって10年ぶりとなった2006年1月のパレスチナ立法評議会選挙では、前回選挙をボイコットしたイスラム組織のハマスが参加し、大勝した。ハマスが定数132議席のうち74議席を獲得して第一党となる一方、アッバス大統領率いるファタハは第二党(45議席)に後退した。イスラエルに対して強硬な姿勢をみせるハマス主導内閣が誕生したことにより、イスラエルとの関係が悪化し、パレスチナではファタハとハマスの抗争が激化した。
なお、自治開始後、初めての地方評議会選挙は2004年12月から翌年にかけて順次行われた。2回目の地方選は2012年10月にヨルダン川西岸地区で実施されたが、ガザ地区を実効支配するハマスが選挙をボイコットしたため、ガザでの選挙は行われなかった。
[勝又郁子]