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ピウスーツキ ピウスーツキ Józef Piłsudski

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デジタル大辞泉の解説

ピウスーツキ(Józef Piłsudski)

[1867~1935]ポーランドの軍人・政治家。独立運動を指導し、ロシアと戦った。1918年、独立を宣言して国家主席となり、対ソ戦争を指導。一時引退したが、1926年のクーデターで政権を握り、独裁政治を行った。ピウスツキ

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百科事典マイペディアの解説

ピウスーツキ

ポーランドの政治家。ポーランドの貴族階級であるシュラフタの中流クラスの地主の子として,リトアニアで生まれた。大学在学中の1887年,ロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺未遂事件に巻き込まれ,1892年までシベリアに流されていた。
→関連項目シコルスキ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ピウスーツキ Piłsudski, Bronisław

1866-1918 ポーランドの人類学者。
ロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺未遂事件に連座して流刑となったサハリン(樺太(からふと))で,ニブヒ(ギリヤーク),アイヌの習俗・言語・宗教を調査,研究。蝋管(ろうかん)蓄音機に録音したほか,約50編の論文を発表した。パリで死去。享年52歳。著作に「アイヌの言語・民話研究資料」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ピウスーツキ【Bronisław Piłsudski】

1866‐1918
リトアニア出身の人類学者。J.ピウスーツキの兄。ロシア領ポーランドの名門貴族(シュラフタ)の家庭に生まれ,ペテルブルグ大学法学部在学中にロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺未遂事件に連座してサハリン(樺太)流刑となり,以来19年(1887‐1906),沿海州,日本も含めた極東の地で過ごす。この間に北サハリンのニブフ(ギリヤーク),1903年以降はロシア帝室科学アカデミーおよび地理協会の委嘱でアイヌ,ウイルタ(オロッコ)などを調査した。

ピウスーツキ【Józef Piłsudski】

1867‐1935
ポーランド建国の父として両大戦間期に英雄視された人物。第2次世界大戦後は社会主義政権のもとで公式には無視されているが,民衆の間での人気はいまなお高い。 一月蜂起後弾圧が特に厳しかったリトアニアで,中流シュラフタの家庭に生まれ,母親から入念な愛国心教育を受けた。7歳のときに農場が火事で焼け,一家はリトアニアの首都ビルニュスに移った。ギムナジウム卒業後,一時ハリコフ大学の医学部に籍を置くが,1887年のロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺未遂事件に兄ブロニスワフとともに巻き込まれ,5年間のシベリア流刑に処せられた。

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大辞林 第三版の解説

ピウスーツキ【Józef Piłsudski】

1867~1935) ポーランドの政治家。武力による独立運動を展開。1918年の独立で国家元首となり、対ソ戦を指導。26年議会制に反対してクーデターを起こし、軍部独裁をしいた。

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世界大百科事典内のピウスーツキの言及

【日本研究】より

…ポーランドも日本研究の伝統を有する。ロシア帝国支配の時代にシベリア流刑となった作家で民族学者のW.シェロシェフスキおよび言語学者ないし民族学者のB.ピウスーツキの両者がアイヌ研究に手を染め,とくに後者はサハリンでアイヌの伝承を収録した。ポーランド独立後の1919年にはワルシャワ大学に日本語の講座が設けられ,55年にはこれが日本学科として独立し,日本に関する研究と教育の中心となっている。…

【国民民主党】より

…農民たちはこれを民族連盟の裏切りと考え,1907‐08年につぎつぎと民族連盟から離れていった。かわって彼らが支持したのは,古い伝統に忠実に武装蜂起を準備していたJ.ピウスーツキである。18年にポーランドが独立したとき,ポーランドの政治勢力はドモフスキの支持勢力とピウスーツキの支持勢力に二分された。…

【シコルスキ】より

…第1次世界大戦中ポーランド軍団を組織,オーストリア側に立ってロシア軍と戦う。15年ころから指導権をめぐってJ.ピウスーツキと対立する。20年ソビエト・ポーランド戦争で軍功を挙げ,同年参謀総長,22‐23年首相兼軍事相を歴任する。…

【ドモフスキ】より

…1903年にドモフスキは《近代的ポーランド人の思想》を書き,新しい運動の理論的な基礎づけを行っている。 1904年に日露戦争が始まるとJ.ピウスーツキのグループは,日本の援助によってロシア領ポーランドで蜂起を起こすことを計画した。それを知ったドモフスキはピウスーツキに先んじて来日し,計画の無謀さと有害さを日本政府に訴えた。…

【ポーランド】より

…それまで少数の知識人(その大部分はシュラフタの出身)の集まりにすぎなかった名ばかりの政党であるポーランド社会党が大衆化するのはこのときである。そのために,一方で国民民主党のもとから農民組織が自立していくとともに(のちのポーランド農民党=解放派),他方でポーランド社会党を追われたJ.ピウスーツキのグループが彼らの支持を受けてオーストリア領で軍事訓練を展開することになる。なおロシア領におけるこうした農民運動のあり方に対して,自治を認められていたオーストリア領では議会選挙のために農民党が早くから結成され(1895。…

【ポーランド社会党】より

…右派は当初革命派と名のり,のちに社会党の名を継ぐ。第1次大戦中,同党出身のJ.ピウスーツキの独立運動を支持し,独立後は初代の政府に参加,19年オーストリア領社会民主党,プロイセン領社会党と合同,議会左翼を形成した。26年のピウスーツキのクーデタを支持したが,のちに撤回し,30年代には権威主義的政府に対する主要な野党勢力となる。…

【ロシア革命】より

… ロシア革命の拡大の最初の実験は,ポーランド戦争によって試みられた。1920年春,ウクライナに侵入し,5月7日キエフを占領した独立ポーランドのJ.ピウスーツキの軍を追って,赤軍はポーランド領内へ進撃を開始した。7月30日には亡命者によって,ポーランド臨時革命委員会が結成された。…

※「ピウスーツキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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