文芸雑誌。1935年(昭和10)3月から38年3月まで刊行。全29冊。『コギト』誌上に掲載された『「日本浪曼派」広告』によると、創刊当初の同人は、神保光太郎(じんぼこうたろう)、亀井勝一郎(かついちろう)、中島栄次郎、中谷孝雄(なかたにたかお)、緒方隆士(おがたりゅうし)、保田与重郎(やすだよじゅうろう)ら6人であるが、その後、伊東静雄、伊藤佐喜雄(さきお)、芳賀檀(はがまゆみ)、太宰治(だざいおさむ)、檀(だん)一雄、山岸外史(がいし)、緑川貢(みつぐ)らが加わり、終刊近くには50人を超える。保田執筆になる「広告」は、「平俗低徊(ていかい)の文学」としての自然主義的な身辺雑記の写実小説を痛烈に批判し、文学の運動を否定するために進んで文学の運動を開始するといい、それは「卑近」に対する「高邁(こうまい)」の、「流行」に対する「不易」の、「従俗」に対する「本道」の主張で、そのために「真理と誠実の侍女として存在するイロニー」を用いねばならぬとした。保田の「反進歩主義文学論」(1935)と亀井の「生けるユダ(シェストフ論)」(1935)がこの派の志向を示し、小説に、太宰『道化の華』(1935)、緑川『娼婦(しょうふ)』(1935)、檀『衰運』(1935)、伊藤『花宴』(1935~37)その他がある。保田に代表される古代憧憬(しょうけい)は、退廃した、西洋模倣の日本的近代に対する根源的批判を含んでいたが、戦時体制の深化と俗流の日本主義の台頭により、漸次「戦場の美学」へと変質する。復刻版(1971)がある。
[大久保典夫]
『三枝康高著『日本浪曼派の運動』(1959・現代社)』▽『橋川文三著『増補 日本浪曼派批判序説』(1965・未来社)』▽『大久保典夫他著『日本浪曼派とは何か』(1972・雄松堂出版)』
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昭和期の文芸同人雑誌。1935年(昭和10)3月~38年8月。通巻29号。保田与重郎,中谷孝雄,亀井勝一郎,神保光太郎,中島栄次郎,緒方隆士の6名によって創刊。創刊に先だって《コギト》に掲載された保田執筆の〈広告〉の高踏的なロマン主義の主張がおおきな反響を呼ぶ。第3号に載った保田の〈反進歩主義文学論〉と亀井の〈生けるユダ(シェストフ論)〉に,プロレタリア文学運動壊滅後の転形期を生きるこの派の主張がうかがわれ,武田麟太郎,高見順ら《人民文庫》(1936-38)派の写実主義と鋭く対立した。小説では,太宰治の《道化の華》,緑川貢の《娼婦》,檀一雄の《衰運》,伊藤佐喜雄の《花の宴》などが注目される。終刊近くには同人は50名を超えた。この雑誌を中心として活動した人々,およびその思潮を概括して〈日本浪曼派〉と呼ぶこともある。
執筆者:大久保 典夫
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1935年(昭和10)3月保田(やすだ)与重郎・亀井勝一郎らによって創刊された文芸雑誌。高踏的なロマン主義の立場からプロレタリア文学運動壊滅後の思想的混迷の打破,伝統芸術の復興をめざした。保田・亀井の評論,佐藤春夫や伊東静雄の詩,太宰治・檀一雄・緑川貢らの小説を掲載。ファシズムの台頭とともに民族主義的傾向を深め,武田麟太郎(りんたろう)らの「人民文庫」と対立,38年8月に終刊した。
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