ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポリティーク派」の意味・わかりやすい解説
ポリティーク派
ポリティークは
Politiques
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…しかし,旧教同盟はパリを牙城として抵抗を続けたため,国内各地に農民一揆が起こり,国外からはスペイン軍の干渉を受け,王国は分裂の危機に直面する。その打開策として,ポリティーク派と呼ばれる新旧どちらの側にもくみしない上層ブルジョアジーの支持を獲得するため旧教に改宗(1593),これが成功して翌年パリ入城を果たした。そして,98年には信教の自由を認めたナントの王令を発布,40年近く続いた内戦に終止符を打った。…
…16世紀後半のフランスで,宗教戦争(ユグノー戦争)末期に結成された過激派カトリックの同盟。新旧両派の武力抗争が続く中で,国王の周辺に,王権の強化による平和の回復を目指す穏健派カトリックを中心とした第三の党派〈ポリティーク派Politiques〉が形成され,宗教的寛容の傾向を示し始めたのに対し,異端の撲滅を主張する正統派カトリックが,1576年北フランスのペロンヌにおいて宣言を発し結成した同盟で,ギーズ公アンリを首領と仰いだ。その後,アンリ3世の懐柔策により一時活動が中断されるが,84年王弟フランソアの死により,プロテスタントのアンリ・ド・ナバール(のちのアンリ4世)が王位につく可能性が生ずると,これに徹底的に反対し,同年末のジョアンビル協定によりスペインの財政的・軍事的支援をえて,全国的にプロテスタントに対する武力弾圧に乗り出した。…
… プロテスタントは暴君放伐論を唱えて王権の打倒を策し,過激派カトリックは異端の撲滅をねらう〈カトリック同盟〉を結成する。この両派の間に都市商人層や高等法院官僚層を中心に〈ポリティーク派〉と呼ばれる中間派グループが,宗教上の寛容と国内の統一を求める新たな政治勢力として台頭した。宗教戦争の末期は,この3派の対抗関係を軸に展開する。…
※「ポリティーク派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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