ボーダン(読み)ぼーだん(英語表記)Jean Bodin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボーダン」の意味・わかりやすい解説

ボーダン
ぼーだん
Jean Bodin
(1529/1530―1596)

ランスの法学者、思想家。アンジェに生まれる。トゥールーズ大学で法学を学んだ。若いころの生活については不明な点が多いが、おりから盛んになりつつあった人文主義に共鳴したことは『国家における若者の教育に関して、トゥールーズ元老院および民衆に宛(あ)てる演説』(1559)から知られる。その後彼はパリに出、高等法院付弁護士になった。しかし実務領域での活躍はほとんど伝えられていない。むしろ彼の関心は法学をはじめとする学問研究に向けられた。『歴史を容易に理解するための方法』(1566)は、彼の関心が人間行動や政治体制を扱う政治学、倫理学のみならず、自然現象全体にかかわる自然学、神および不滅の霊魂にかかわる神学に及んでいることを示している。こうしたボーダンにとって1576年は記念すべき年であり、彼はブロワ三部会に第三身分の代表として出席して活躍するとともに、主著国家論』を刊行した。『国家論』は、政治思想史上主権という概念を初めて導入して国家論を展開した画期的作品であり、王権を中心とした政治的統一、平和の必要を説いている。おりからフランスは宗教戦争によって分裂状態に陥っており、ボーダンは王権という絶対権力によって事態を乗り切ろうとした。彼は一時王弟の好遇を得たが、晩年はランに退き、反王権派カトリック教徒との苦闘うち一生を終わったといわれる。

佐々木毅

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボーダン」の意味・わかりやすい解説

ボーダン
Bodin, Jean

[生]1529/1530. アンジェ
[没]1596.6. ラン
フランスのユグノー戦争時代の政治思想家。マキアベリと並び称される。ツールーズ大学で法学を学んだあと,ユマニストとして同大学の法学教授となった。 1561年パリに出て高等法院弁護人となり,やがて王弟アランソン公の協力者として,71年請願審理官,ランのバイイ裁判代官などを歴任。 76年ブロアの全国三部会で第三身分代表として活動。また 81年にイングランドに渡った。この体験とユグノー戦争の混乱の現実を通じてその政治思想が形成され,主著『国家論六巻』 Les Six livres de la République (1576) にまとめられた。国家とは多数の家族とそれらに共通する事柄の主権による正しい統治をなすものであり,主権とは国家に属する不可分かつ絶対的,恒久的な権力であるとし,近代的主権概念を創出した。かくて統一主権国家こそ宗教的,地域的また身分制的な分立抗争の混乱を収拾すると考えた。ポリティーク派を代表する思想家。他に貿易論として『マレストロアへの反論』 Réponse aux paradoxes de M. de Malestroit (68) ,宗教を扱った未刊の『崇高な事物の隠された秘密に関するヘプタプロメーレス対話』 Colloquium Heptaplomeres de rerum sublimium arcanis abditisなどがある。

ボーダン
Baudin, Jean-Baptiste Alphonse Victor

[生]1811.4.20. アン,ナントゥア
[没]1851.12.3. パリ
フランスの政治家。 1849年立法議会議員となり山岳派に属した。初等教育の無償,義務制を提案。ナポレオン3世のクーデター (1851.12.2.) の直後,パリのサンタントアーヌの労働者の蜂起を促したが成功せず,軍によって射殺された。

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