ロピタル(読み)ろぴたる(その他表記)Michel de L'Hospital

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロピタル」の意味・わかりやすい解説

ロピタル
ろぴたる
Michel de L'Hospital
(1504?―1573)

フランス宗教戦争期の宰相オーベルニュに生まれる。摂政(せっしょう)カトリーヌ・ド・メディシスに登用され、1560年大法官となる。王権擁護のため新旧両派の融和政策をとるカトリーヌの下で、政教分離立場にたって宗教的寛容策を推進する。その成果である1562年の正月王令は、不十分ながらフランスで初め信教の自由を認める。宗教戦争激化のなかで1568年辞任を余儀なくされるが、人格廉潔で、フランス・ルネサンスでもまれにみる優れた政治家であった。

[髙橋由美子]

『矢田部厚彦著『宰相ミシェル・ド・ロピタルの生涯』(1985・読売新聞社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ロピタル」の意味・わかりやすい解説

ロピタル
Michel de L'Hopital
生没年:1504ころ-73

フランス宗教戦争期の人文主義者,政治家。パリ高等法院評定官,会計院院長を経たのち,1560年国王フランソア2世の要請で大法官の地位に就く。次王シャルル9世下に,ほとんど宰相に等しい権限を行使して,司法・行政の整備を行うと同時に,カトリックプロテスタント両勢力に分かれて反目していた国内の宗教争乱を和平に導くよう尽力した。深いカトリック信仰を保ちつつも寛容を説き,60年には異端裁判所を廃止し,ポアシーの宗教会議(1561)でも和解を説き,オルレアンの王令(1562)ではプロテスタントに私邸での礼拝を許した。しかし,この努力もバシーの虐殺事件(1562)で無に帰し,フランスは内乱に突入する。さらに6年間,平和の回復に努力するが徒労に終わり,68年大法官の職を退いた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロピタル」の意味・わかりやすい解説

ロピタル
L'Hospital, Michel de

[生]1504/1505. ピュイドドーム,エーグペルス
[没]1573.3.13. エソンヌ,エタンプ近郊ベルバ
フランスの政治家。パドバ,ボローニャで法学を修め,帰国後 1537年パリ高等法院評定官職を得,マルグリット・ド・ナバールに仕えた。 55年会計院院長,60年カトリーヌ・ド・メディシスより大法官に任命され,ユマニストとしての立場から新旧両派の緊張を緩和するため身を挺して寛容を説いた。また司法制度の改革にも貢献した (1561,63,66年の王令) 。しかし,バシーの町でのプロテスタント殺害事件に始るユグノー戦争の勃発後,カトリックの攻撃を受け,自分の所領に隠遁サン=バルテルミの虐殺は危うく免れた。

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百科事典マイペディア 「ロピタル」の意味・わかりやすい解説

ロピタル

フランスの政治家。1560年フランソア2世の大法官となり,新旧両派の和解に努めたが,ギーズ家一門の圧力の前に1568年引退を余儀なくされた。裁判制度の改革や年の初めを1月1日とする暦法改正にも大きく貢献した。

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