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メシュトロビッチ Meštrović, Ivan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メシュトロビッチ
Meštrović, Ivan

[生]1883.8.15. ウルボルイェ
[没]1962.1.16. サウスベンド
クロアチア生れのアメリカの彫刻家。ダルマチアの農家の出身。 1896年スポラトで石工の徒弟となり,99~1904年ウィーンのアカデミーに学んだ。その後ウィーン,ロンドン,ミュンヘン,パリ,ローマで作品を発表。帰国後愛国運動を反映するコソボ神殿の建築と彫刻 (1907~12) で世界的名声を得て,12年ザグレブのアカデミー院長に就任。 47年渡米し,54年市民権を得,55年ノートルダム大学美術教授。主要作品『トマス・ビーチャム卿像』 (15,ロンドン,テート・ギャラリー) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

メシュトロビッチ【Ivan Meštrović】

1883‐1962
ユーゴスラビアの彫刻家。クロアチアに生まれ,1901年よりウィーンのアカデミーで学ぶ。ロダンやゼツェッシオン(分離派)の影響を受け,新生ユーゴスラビアの民族的表現をめざした。様式化された力強く明快な形で,政治的主張をもつ記念碑を国内各地,さらにルーマニアやアメリカに制作した。晩年を過ごしたアメリカ,インディアナ州サウス・ベンドの近郊で没。ユーゴスラビアを代表する芸術家として国外において最も著名で,日本でもすでに大正年間に詳しく紹介されている。

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世界大百科事典内のメシュトロビッチの言及

【ユーゴスラビア】より

…スロベニアの印象派の画家であるヤコピッチRihard Jakopič(1869-1943),ヤーマMatija Jama(1872-1947),グロハルIvan Grohar(1867-1911),ステルネンMatej Sternen(1870-1949)やセルビアの表現主義の画家ペトロビッチNadežda Petrović(1873-1915)も,アジュベの門下から出ている。新生国家ユーゴスラビアの各地に記念碑を制作した彫刻家メシュトロビッチ(1883-1962)は民族主義の主張を雄弁に表現した。1929年クロアチアの若い画家たちがグループ〈ゼムリャZemlja(大地)〉を結成,その一人ヘゲドゥシッチKrsto Hegedušić(1901-75)はフレビネHlebine村で少年農夫ゲネラリッチIvan Generalić(1914- )に出会い,政治的傾向をもったフレビネ派と呼ばれるクロアチアのナイーブ派が成立する契機となった。…

※「メシュトロビッチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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