中世ヨーロッパの手工業労働において,親方職人のもとで弟子として修業し,職人となるまでの年季奉公人の呼称。通常徒弟は,10歳前後に徒弟契約を親方と結んだ。そして徒弟金を支払って親方の家に住み込み,衣食住を提供され,技術指導を受けた。徒弟期間は,職種や地域(都市)によって多様であった。例えばパリの同業組合規約(1268年頃)では,最も短い職種で2年,最も長い職種で12年であったが,3~5年が一般的であった。徒弟は,徒弟期間を終えると職人として働き,親方になるにふさわしい条件を満たせば,独立して親方として店を持つことができたが,中世後期の都市では親方の数が限定され,他の親方のもとで長期間職人として働かざるをえない場合も多かった。また都市から都市へと渡り歩く遍歴職人も少なくなかった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…それがツンフト闘争とよばれる運動である。この頃ギルド内でも親方Meister,職人Geselle,徒弟Lehrlingの階層(徒弟制度)が生まれ,技術水準の維持が計られると同時に職人も兄弟団を結成し,親方に対抗する姿勢をとり始めた。この兄弟団はやがて職人組合Gesellenverbandへと発展してゆくことになる。…
…なんらかの手工業の職に就こうとする者は,親方のもとでギルドの定める一定期間の修業を済ませて職人となる。さらにギルドからその資格にふさわしい力量を認められれば,親方となって自分の工房を開くことができた(徒弟制度)。 古代・中世においては,美術品制作の手工業的側面が強調されたため,芸術家と一般の職人の間に原理的な区別はなく,中世においては絵画や彫刻の制作は工房制度に組み込まれていた。…
…一般に,自分の手先の技術により物を生産することを職業とする人をいい,その技術は,独自の徒弟制度により伝習されてきた。だが中世の日本では,在庁官人や芸能民なども広く職人と呼ばれていた。…
…手工業ギルドを中心に同職組合が形成された14世紀ころ,それと結合しつつ確立した。親方master(ドイツではマイスターと呼ばれる),職人journeyman,徒弟apprenticeという身分的な階層制度を形成する。親方は契約によって徒弟を雇い,衣食住を保証するが賃金は支払わず若干のこづかい銭を与える。…
※「徒弟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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