石の切出し(採石),石の加工,石垣の造営などをする職人。〈せっく〉〈せっこう〉ともいい,また石作(いしつくり),石屋,石大工,石切,石方ともいう。古墳石室や神籠石(こうごいし)の精巧な仕上げは専門の工人の存在を推測させることから,古墳時代には存在したと思われる。仏教建築では法隆寺金堂基壇などの例が,石工技術が重要な役割を果たしたことを明らかに示しているが,仏寺の建設が当初は渡来工人の技術によっていたことからみて,石工の技術も渡来工人によって格段に進歩したと考えられる。建築や造園など石の需要が増した鎌倉時代には,1253年(建長5)に般若寺十三重塔を作った伊行末(いぎようまつ)など,独立した職種としての石工の存在が確認される。戦国時代から桃山時代にかけては城の石垣造営にその技術が重用され,穴生(あのう)(滋賀県)の石工は特に名高い。このほか眼鏡橋(長崎市,1634),通潤橋(熊本県上益城郡,1854)などの石造橋,閑谷(しずたに)学校石塀(備前市,1701)などの石塀,日光東照宮石鳥居(1618)や久能山東照宮廟所宝塔(静岡市,1617)などの宗教建築物,および各地に残る石畳道などはいずれも石工の高い技術をよく示している。江戸幕府の建設担当役所である作事方(さくじかた)では,大棟梁のもとに鍛冶・錺(かざり)などとともに石方を配し,その指揮者は石方棟梁と呼ばれ,建物の基礎,竈(かまど)やこたつの石などの作製を担当した。
→石垣
執筆者:西 和夫
非ヨーロッパ世界と比べてみると,ヨーロッパ世界はその全域にわたり,時代による様式の違いをこえて石造建築が織りなす景観にある種の共通性がみられる。その共通性を生み出した技術の担い手が石工の集団であった。石造建築の伝統はギリシア・ローマを経て北ヨーロッパにもたらされたのであって,古ゲルマン人はタキトゥスが《ゲルマニア》で述べているように〈切石あるいは煉瓦を使用することもまったく知らなかった〉。中世に入ると石造建築物は全ヨーロッパに普及し,〈ミラノは大理石,ブダ(ブダペスト)は切石,マリエンブルク(プロイセン)は泥(煉瓦)〉ということわざが示しているよう,に材質こそ異なっていても,石造建築物がヨーロッパの景観の重要な要素となっていった。
中世初期の修道院建築においてはローマの建築家ウィトルウィウスの書物が手本として使われ,建築の指揮をしたのはカロリング期以降においても世俗の建築物の場合ですら聖職者であった。しかし,すでに7世紀の《ロターリ王法典》によると,ランゴバルド王国支配下にマギストリ・コマチニと呼ばれる俗人建築家の仲間団体がコモ湖周辺に結成されていたことがわかる。これが石工の組合の先駆とみられる。修道院や教会などの建築には長い年月を要したから,初期にはロンバルディアやその他の地域から石工が集まり,ヒュッテと呼ばれる小屋で生活を共にして仕事をつづけていた。石造建築には特殊な数学や幾何学の知識が必要であったし,高度な技術が求められたから,やがて石工の集団は手工業者のなかでも高い社会的地位を享受するようになる。初期の石工は遍歴手工業者であったから,ヨーロッパ各地の石造建築隆盛の底流には,それを支えていた同質の石工の集団があったといってよいであろう。やがて石工は各都市に定住するようになるが,職人の遍歴は近代にいたるまで行われ,独自な慣習と作法をもつ特権的集団としての誇りをもちつづけていた。
→フリーメーソン
執筆者:阿部 謹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…古墳石室や神籠石(こうごいし)の精巧な仕上げは専門の工人の存在を推測させることから,古墳時代には存在したと思われる。仏教建築では法隆寺金堂基壇などの例が,石工技術が重要な役割を果たしたことを明らかに示しているが,仏寺の建設が当初は渡来工人の技術によっていたことからみて,石工の技術も渡来工人によって格段に進歩したと考えられる。建築や造園など石の需要が増した鎌倉時代には,1253年(建長5)に般若寺十三重塔を作った伊行末(いぎようまつ)など,独立した職種としての石工の存在が確認される。…
…古墳石室や神籠石(こうごいし)の精巧な仕上げは専門の工人の存在を推測させることから,古墳時代には存在したと思われる。仏教建築では法隆寺金堂基壇などの例が,石工技術が重要な役割を果たしたことを明らかに示しているが,仏寺の建設が当初は渡来工人の技術によっていたことからみて,石工の技術も渡来工人によって格段に進歩したと考えられる。建築や造園など石の需要が増した鎌倉時代には,1253年(建長5)に般若寺十三重塔を作った伊行末(いぎようまつ)など,独立した職種としての石工の存在が確認される。…
…石材ならびにその加工品を販売する商人とその店の称。石工(いしく)をこの名で呼ぶこともある。近世中期以後,石材の販売,加工を業とする石屋が都市に出現した。…
…ローマのコレギウムは,キリスト教の受容とともに相互扶助を行う兄弟団的結合に変わっていったとみられる。11世紀ごろロンバルディアのコモ地方にみられた石工の団体magistri commaciniは,すでに親方,職人,徒弟を擁するギルド的な組織をもち,教会建築に従事していた。マギステルを長とする石工の組織が修道院の組織を模倣したものといわれるのも,その関係によるとみられる。…
…中世末期のドイツで教会堂の建設を専門として組織された石工を中心とする工人の組合。その長をヒュッテンマイスターHüttenmeisterという。…
… そのほか中世の十字軍騎士団,とりわけテンプル騎士団を起源とする説や,ドルイド教の巨石崇拝にさかのぼるとする説,16~17世紀のヘルメス主義結社に前身をみる見解などがあるが,いずれもあとから持ち込まれたものであろう。ただ,フリーメーソンの名そのものが〈自由な石工〉の意であることからして,中世以来の石工ギルドより派生したことはほぼ確実であり,イギリスで1360年のウィンザー宮殿建造に際して,王命により諸侯から徴用された568人の石工集団を起源とする説が有力である。そもそもイギリスにおける石工は古くから教会や国王の特権的庇護の下にあり,さまざまの世俗的義務を免除されていた。…
※「石工」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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