リイシリ場所(読み)りいしりばしよ

日本歴史地名大系 「リイシリ場所」の解説

リイシリ場所
りいしりばしよ

利尻りしり島・礼文れぶん島に設定された場所(持場)名。一八五五年(安政二年)ソウヤ場所のうちとなった。「場所境調書」に「リイシリ レフンシリ 二島」とあり、「二島は先年より惣而ソウヤより別廉に有之候処、当節ソウヤ支配之様に相成候」とある。「津軽一統志」には「るいしん」とみえ、「ゑさしの鼻 沖にるいしんと言島有。狄家、狄商場、狄数三百人程有、大将ムネワカイン、同モンヤカインと申候」とあり、商場があった。一六七〇年(寛文一〇年)六月、松前藩の船頭忠兵衛が「るいしん」に来島しており、「いそや」のアイヌが彼を殺害しようとしたが「るいしん」のアイヌが救助したという(同書)。元禄郷帳には離島の分として「りいしり」「れぶんしり」がみえる。「蝦夷商賈聞書」には「御家老内記殿御預リ被成壱ケ年ニ志摩守様江壱ケ年ニ金百両宛指上ケ、内記殿御手船八百石被遣候、是ヨリ三里ノレブンシリト申島ハ船不参、右之蝦夷共取荷物ソウヤト利尻ト両所江積参リ商仕候、此嶋ヱソ松沢山成嶋也」とある。利尻は松前藩家老松前内記が年に一〇〇両を上納する御領場所で、手船を派遣して直営としていた。礼文島には交易船が行かず、礼文島のアイヌは宗谷か利尻に渡って交易していたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報