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ロコソフスキー Rokossovsky, Konstantin Konstantinovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロコソフスキー
Rokossovsky, Konstantin Konstantinovich

[生]1896.12.21. ポーランド,スワブタ
[没]1968.8.3. ソビエト連邦,モスクワ
ソビエト連邦の軍人。 Rokossovskiiとも書く。ロシアに帰化したポーランド官吏の子で,スターリングラードの戦いで名をあげた。 1917年赤軍に入り将官に昇進したが,1938~41年拘禁された。第2次世界大戦中はモスクワ防衛,白ロシア戦隊,ベルリン攻撃を指揮。 1949年ポーランドに帰国し,ポーランド国防大臣兼総司令官に就任。 1950年ポーランド統一労働者党政治局員となり,1952年副首相を兼務,スターリン主義者グループを支えた。 1956年 10月にウワディスワフ・ゴムウカらの民主派の登場をソ連軍を導入して阻止しようと企図して失敗,党政治局から解任され,ソ連に帰国。 1962年までソ連の国防大臣代理を務めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロコソフスキー
ろこそふすきー
Константин Константинович Рокоссовский Konstantin Konstantinovich Rokossovskiy
(1896―1968)

ソ連の軍人。ポーランド人。第一次世界大戦に兵士として参加し、1917年十月革命時に赤衛隊入隊。1919年より共産党員となる。赤軍の騎兵連隊、騎兵師団の司令官を務める。1938年の赤軍粛清で一時逮捕されたが、第二次世界大戦中は機械化軍団、さらに各方面軍の司令官として活躍した。1944年軍元帥。1949年、ポーランドに招かれ同国の国防相兼副首相となったが、1956年のポーランド政変によるゴムルカの復帰とともに解任、ソ連に帰国、国防次官(1956~1957、1958~1962)を務めた。[藤本和貴夫]

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