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ロハス・ピニーリャ Gustavo Rojas Pinilla

世界大百科事典 第2版の解説

ロハス・ピニーリャ【Gustavo Rojas Pinilla】

1900‐74
コロンビアの大統領。在任1953‐57。陸軍総司令官のとき,1953年6月のクーデタでゴメス政権を倒し,キリスト教とボリーバル主義を掲げてポプリスモ的政策をとったが,政策は実現できず,独裁と腐敗に陥ったため,自由党,保守党および軍部の圧力で57年国外へ亡命した。60年代に労働者大衆を基盤に全国大衆同盟(ANAPO)を結成し,70年の大統領選挙に臨んだが惜敗した。【上谷 博】

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世界大百科事典内のロハス・ピニーリャの言及

【コロンビア】より

…これ以降,二大政党支持者間の武力抗争は全国的規模に拡大され,さらに50年には超国家主義者ラウレアーノ・ゴメスの保守党政権が誕生したことなどから,ビオレンシアによる国内の混乱は,農村部を中心に頂点をきわめた。その結果,軍部が政治に介入する事態を招き,53年にロハス・ピニーリャ将軍がクーデタによって大統領の座についた。 軍政の長期化・日常化によって政治的イニシアティブを失うことを恐れた保守・自由両党は,主導権をみずからの手中に取り戻し,伝統的な政治構造を回復・維持すべく57年,国民協定を結んだ。…

【ラテン・アメリカ】より

…すなわち,専門職業化が進んだ軍部では,試験と年功序列とに基づく昇進制度,およびそれによって支えられる位階秩序が将校団によって広く受け入れられているばかりでなく,職業軍人としての共通の専門意識が将校団としての凝集性を高める作用を果たしている。このような軍部が政権を握った場合には,かつてペルーのオドリアManuel Odría将軍(1897‐1974)やコロンビアのロハス・ピニーリャ将軍が試みたように,1人の有力軍人が公職を利用して政治的支持者を増やし,みずから政治家に転身していくという現象は起こりにくい。1960年代以降出現したブラジル,アルゼンチン,ペルー,チリ,ウルグアイの軍事政権は,採用すべき政策の内容をめぐる内紛をかかえながら,あくまでも将校団による政権担当というたてまえをくずさなかった。…

※「ロハス・ピニーリャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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