一ノ俣村
いちのまたむら
[現在地名]豊田町大字一ノ俣
殿居村の東にあり、天井ヶ岳・一位ヶ岳を水源とする粟野川の支流一ノ俣川の流域で、北は河原(現大津郡油谷町)・俵山(現長門市)の両村、東は勇山を境に稲見村、南は浮石、西は佐野・殿居などの諸村に接する。長府藩領で豊浦郡田耕筋に属した。
地名は、村内の熊野三所権現(現日幡神社)の嘉吉元年(一四四一)の棟札に「豊田郡一ノ俣郷」とみえるのが早いが、慶長期(一五九六―一六一五)の検地帳にはみえず、「地下上申」で「市之俣」として初めて高付される。総高九五六石余、うち田方八八八石余、畠方六七石、家数四一、人口三六二人。小名には一本木(一位木)・観音寺・茶屋川・東・中村・あがた(県)・屋とうじ(八藤寺)・東元寺(東現寺)・西のおき・刀禰名(殿名)・佐野越・ろくろや・いからせ・中之俣・台・高大寺・宮河内・鍛冶屋・原・迫・奥屋敷・花瀬・本浴をあげる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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