一久保田村(読み)ひとくぼたむら

日本歴史地名大系 「一久保田村」の解説

一久保田村
ひとくぼたむら

[現在地名]佐田町一窪田ひとくぼた

北流する神戸かんど川と支流伊佐いさ川の合流点を中心にし、東はひがし村、南は佐津目さつめ村、西は奥田儀おくたぎ(現多伎町)、北は毛津けづ村に接する。石場いしば仁江にえ菅田すがたまち飯野原いいのはら栗原くりはらの字で構成される。村名は古代には東村八幡原やわたばら村・当村の三村合せて伊秩いちつ村とよばれていたが、弘仁年間(八一〇―八二四)三村分離して一久保田村になったと伝える(郡村誌)。「雲陽誌」は「古城山、麓より山上まで二十丈はかり、本丸、二の丸、三の丸の跡今なほのこれり、土人語て曰、此所にくほき田あり、故に村の名とす」と記している。寛永六年(一六二九)の伊秩之内一窪田村御検地帳写では田方二六町四反余・分米三四三石余、畑方二一町五反余・分米一三〇石余、屋敷数六五(うち役前五三)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む