山名宗全(読み)ヤマナソウゼン

デジタル大辞泉 「山名宗全」の意味・読み・例文・類語

やまな‐そうぜん【山名宗全】

山名持豊やまなもちとよ

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精選版 日本国語大辞典 「山名宗全」の意味・読み・例文・類語

やまな‐そうぜん【山名宗全】

  1. 室町時代武将。時熙の子。名は持豊。宗全は法名。その面体から赤入道と俗称された。嘉吉の乱に赤松氏を討ち、山名家の勢力を回復した。侍所所司。家督を子教豊に譲り落飾後も一族実権を握っていた。応仁の乱に足利義尚を立て、西軍として戦ったが、陣中で死んだ。応永一一~文明五年(一四〇四‐七三

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百科事典マイペディア 「山名宗全」の意味・わかりやすい解説

山名宗全【やまなそうぜん】

室町時代の備後(びんご)・但馬(たじま)など中国地方の大守護。名は持豊(もちとよ)。宗全は法名。室町幕府侍所頭人(とうにん)を務め,1441年嘉吉の乱赤松満祐を討ち勢力を強めた。1467年将軍家や斯波(しば)・畠山家の家督争いから応仁・文明の乱が起こると,管領(かんれい)細川勝元と戦ったが,その最中に病死
→関連項目西陣畠山義就山名氏和田山[町]

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改訂新版 世界大百科事典 「山名宗全」の意味・わかりやすい解説

山名宗全 (やまなそうぜん)

山名持豊(もちとよ)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山名宗全」の解説

山名宗全 やまな-そうぜん

山名持豊(やまな-もちとよ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山名宗全」の意味・わかりやすい解説

山名宗全
やまなそうぜん

山名持豊

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旺文社日本史事典 三訂版 「山名宗全」の解説

山名宗全
やまなそうぜん

山名持豊

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山名宗全」の意味・わかりやすい解説

山名宗全
やまなそうぜん

山名持豊」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の山名宗全の言及

【応仁・文明の乱】より

…義敏の跡職はその子松王丸に与えられたが,このころ勢力を強めてきた朝倉義景が中心となり,幕府に働きかけて61年(寛正2)に九州探題渋川氏の一族義廉に斯波家の家督を継がせることに成功した。細川勝元は義敏を,山名宗全は義廉を支持したことから,分国では家臣の対立が,幕府との関係では双方の家督争いが続いた。65年には義敏が幕府に召還され,翌年に家督を認められた。…

【西陣】より

…西陣織の産地として有名である。地名は応仁・文明の乱において西軍(山名宗全)方の陣所となったことに由来する。この地を西陣と呼んだ初見史料は《蔭涼軒日録》文明19年(1487)正月24日条で,常在光寺の荒廃に触れて〈西陣辺〉と記され,乱後10年目にはすでに地名化していた。…

【山名持豊】より

…室町時代の武将。時熙(ときひろ)(常熙(じようき))の子。法名宗全。将軍足利義持の偏諱(へんき)を与えられる。長兄満時は侍所頭人(とうにん)も務めたが若くして没し,次兄持熙も将軍義教に疎まれたため,嫡子となり,1433年(永享5)但馬,備後,安芸,伊賀の守護職を譲られ,37年持熙を討って惣領権を確立する。40年には,1402年(応永9)に寺納年貢1000石で守護請した高野山領備後大田荘の年々の未進累積額が2万0600石余に達したことを理由に,代官犬橋氏を改替するよう高野山側から訴えられている。…

※「山名宗全」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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