朝日日本歴史人物事典 「一条信能」の解説
一条信能
生年:生年不詳
鎌倉初期の公卿。権中納言一条能保の次男。母は江口の遊女。建久4(1193)年に叙爵。侍従,近衛少将,中将を歴任。承久1(1219)年に蔵人頭,翌年参議となって公卿に列する。父能保が源頼朝の妹婿であったため鎌倉幕府と親しく,将軍実朝の右近衛大将拝賀,右大臣拝賀には鎌倉に下向している。しかし承久の乱(1221)においては弟の法印尊長と共に後鳥羽上皇方に立ち,積極的に討幕の謀りごとを進めた。畿内近国の武士には,かつて京都守護であった一条家の家人が多くいたから,信能は彼らが京方につくように働きかけたのである。敗戦後,乱の張本のひとりとして美濃国(岐阜県)遠山庄で斬られた。
(本郷和人)
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