丁野村(読み)よおのむら

日本歴史地名大系 「丁野村」の解説

丁野村
よおのむら

[現在地名]湖北町丁野・美濃山みのやま

山脇やまわき村の北に位置。北国脇往還が通る。村名の由来を古代の仕丁に求める説がある(輿地志略)。永正五年(一五〇八)六月一六日、当地の彦兵衛が竹生島ちくぶしま(現びわ町)蓮華会の頭役に選ばれている(竹生島文書)。「輿地志略」によれば当地には浅井家屋敷跡があり、浅井小次郎・同掃部・同大和守らが住したといい、西部には越前朝倉方の家士、堀甚助・久保田勘十郎らが拠った芝山古城(丁野城か)跡があったという。慶長三年(一五九八)八月二三日、石田三成が当村内三一二石余を前野右衛門太郎に宛行っている(前野文書)


丁野村
ちようのむら

北と東を塩田しおた村に接する木曾川沿いの村。「徇行記」によれば、概高三一二石余は一円蔵入地。田は一四町一反六畝余、畑は四町六反五畝余。「寛文覚書」に戸数四四、人数一八三とある。「徇行記」は「一村立ノ所ニテ竹木ハ少シ、小百姓ハカリニテ近年戸口減ス、然シ水損所故ニ耕田不足シ、塩田村・早尾村ノ田畝ヲ専ラ承佃スト也」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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